気がつけば9月・・・・・。
ブログを放置して早2ヶ月近くが経過しようとしている。
まだまだ終わりの見えない残暑に辟易しながらも、だんだんと日中の空は秋色を帯び始め、徐々にではあるが高くなってきている気がする。
朝夕の時間帯、あれだけ猛り狂ったような暑さが、フッと一息ついたかのように、涼しい風が吹く瞬間が多くなってきている。
確実に季節は秋へとその色を変え始め、今年も残りは4か月を切った。
そうこうしているうちにハロフィンの喧騒が街を覆うようになり、それが終わればクリスマスへと一気に季節は加速する。
季節の変わり目が極端になってきているが、年末のイベントが始まる頃になれば、また手足の末端が痺れるほどの寒さに見舞われるのだろう。
日本は四季折々の風情を楽しめる国であると思っていたが、コロナ禍のあたりから夏と冬しか存在しなくなったのでは?と思ってしまう。
季節も人間の性格も、極端にすぎるのは困りものだ。
徹底的に暑苦しくウザイ人間も、冷酷で非常な人間も、友として自分の身近に存在してほしくない。
どちらもデジタルに二極化するのではなく、もっとファジー(もはや死語)であって欲しいのに・・・・・。
ブログの更新が滞っていたのは、ひとえに家族の事情からである。
ことの詳細は日記形式ではなく、普通の文章でアップしようかと思っているのだが、
母が入院したのである。
ボケてしまったとか命にかかわる大事ではなかったのだが、それでも、本人や家族にとっては大変でシンドい日常生活を余儀なくされた。
いうまでもなく、生活様式が一変したのである。
自分も以前、命に関わる大病を患い長期入院していたことがある。
その時は生きるのに精一杯。呼吸をするのにも難儀する状態であったため、もう、何が苦しくて何が辛いのかわからないくらいに悲惨な状態であった。
生きているだけで辛いとは、大げさではなく、正にこのときのことを言うのだと思った。
人間、余りにも苦しいことが身の上に降りかかると、脳がその時の記憶をキレイに忘れるように、一時的にシャットダウンするように出来ているのは本当だ。
真夏の暑い時期から年越しまで、かなりの日数を病院のベッドで過ごしたのだが、手術後しばらくの記憶は深いモヤの中に閉じ込められたように曖昧になっている。
母も相当に痛い思いをしたので、手術前後の記憶はやはり曖昧なのだといっている。
ご経験のある読者も居るだろうが、家族の誰かが入院となると、周りの人間は生活様式を変えざるを得なくなる。
病人中心の生活になってしまい、最優先事項は当人の病気や怪我の根治と回復に向けられ、そのためには家族全員一丸となっての対応が必須になる。
ようやく少し落ち着いてきたので、こうして短文ではあるが日記をアップしてみた。
家族の入院など誰も経験したくはない。
みな健康でいつまでも元気で過ごしてほしいし、また自分もそうだありたいと願う。
若さと元気とお金はあればあるほど良いものだが、かなしいかな、確実に減り、最後には底をつくのは世の無常であり、変えることのできない真理なのである。
今回の母の入院は通常と違い、コロナの院内感染徹底撲滅の厳戒態勢下で行われたため
かなり制限とあるものになった。
これもおいおい日記とは別でアップしたいと思っている。
自分の老いを感じるのと同時に、自分の親も確実に老いていく。
しばらく水やりを忘れ、シオシオで元気のなくなったサボテンにあわてて水をやる。
健康というのはサボテンのようだ。
普段からの心身ケアという水を与えるのを忘れがちになり、それでも急激な体調の変化を見せず日常を送れているので、つい放置してしまう。
カラッカラに乾いて元気のなくなったサボテン。
瑞々しい緑色に戻るのはいつだろうか。
水やりのため持ち上げた途端に手が滑り、あわてて鉢を持ち直した途端にトゲが左手の指を襲った。
ブスリと刺さったトゲの痛みは、普段からのケアを忘れるなと戒めているようだった。
当たり前にある健康などないのだと。