ごめんなさい。やっぱり通勤電車はキライです。

考える人

足早く過ぎゆく人々の靴音と、上り電車の発射を告げるベルを聞きながら、今私はここにいる。
下半身を丸出しにし、かのオーギュスト・ロダンが、ブロンズにありったけの情熱と魂と命とを吹き込んだ「考える人」の如きポーズをとりながら、今私はここにいる。

午前8時10分。
私の地元、神奈川のクソ田舎から電車で小一時間ほどの場所にある、県内では中規模程度の大きさを誇るターミナル駅に降り立った私は、急転直下の腹具合からもたらされる苦悶の表情を顔にへばり付け、尻穴に余計な力を加えないよう、ヨチヨチ歩きの幼児の如き足取りで、ようやくここにたどり着いたのであった。
ホームの階段を登りきった、改札口まであとホンの少しのところ。
そにはまるで、神が両手で迷える子羊を優しく迎え入れてくれるかのように、その門戸を開いて待ってくれていたのだ。

そう。その輝かしい場所とは、まさにトイレなのである。

最近改装されたばかりとおぼしきそのトイレは、何もかもが小綺麗でサッパリとしている。
シンボリックなサインを見れば、どのような国から来た旅行客であっても、男女の用途の別、車椅子の利用可否、ベビーチェア・おむつ交換台の有無、その他モロモロが一目瞭然で直感的に理解できるであろう。
(男女の区別は昔ながらのマークでも十二分に理解できるとは思うが)

あぁ。それにしても、改装したばかりのピカピカなトイレは本当に清々しい。
サッカー元日本代表のある選手は、この清々しいという漢字を「きよきよしい」と読んだらしいが、今まさに、私の心を去来するこの気持ちは、「きよきよしい」以外のなにものでもないのだ。

昨年は、未知なる悪魔「コロナウィルス」の脅威に怯え、不要不急の外出自粛を必要以上に課していた私は、当然のことながら人間ドックを受診することなど考えもしなかった。
普段であれば、通勤している東京都内にある大型の病院で受診を早々に済ませてしまっているのだが、去年ばかりはそうもいかなかった。
総務から矢のように、人間ドック受診を催促するメールが送信されてきていたが、第一回目の緊急事態宣言が発出されたあの当時、感染覚悟で都内の病院に出かけるアナーキーなバカ者が、一体どこにいるというのだろう?
「今の状況わかってますよね? 地元の病院でさえも怖くて行けないのわかってます? こんな時期にホイホイ出歩いてコロナに感染したらどう責任とってくれるんですか?」と、メールでまくし立てた結果、感染予防がファースト・プライオリティということになり、受診することなく2020年を終えてしまっていたのである。

だが、待てど暮らせどコロナ新規感染者数は一向に減少傾向を見せない。
このまま何もせずステイホームを決め込むのも、生来のナマケモノでダメ人間な私にとってはウェル・カム状態だったのだが、一向に減少傾向を見せない我が体重を目にすると、いかんせん違った不安が頭をもたげてくるのである。

「そろそろ人間ドック受診しとかないとヤバいかなぁ・・・・・」。

十年以上前、身体の不調を知りつつも、仕事の忙しさで放っておいたばかりに生命を脅かす大病を患い、それを悪化させてしまっていたことを思い出した。

こうして意を決し、自宅から一番最寄りで、会社が加入している保険組合と提携している病院に、人間ドックを受診しに来たのである。
そして、移動中の電車内で腹具合が悪くなり、下車した途端、キンキンに冷え切った便座に腰を下ろしたのが8時10分、まさに今だったのである。

やっぱり田舎にも影響は出ている

ステイホームでリモートワークがすっかり定着してしまい、ウォーキングと週末の買い物以外、外出らしい外出をしなくなってしまっていたので、世の中のリアルな動きにすっかり疎くなってしまっていた。
今日もそうだ。
受診する病院には午前8時30分~9時の間に到着しておかなくてはならず、自宅から逆算すると、今までの通勤時間帯より一本早く、バスと電車に乗らなければならなかった。

去年は片手で数えるほどの回数、東京のオフィスに出社した。どうしても会社で対応しなければならない案件があったためだ。
だが、いづれの場合も感染予防のためオフピーク出勤をしていたため、地獄の満員電車に乗車することなどなく、のんびりとした雰囲気の中で出社できていた。

故に、数十年通い慣れた時間帯でのバスと電車の乗車については、ほぼ1年ぶりとなってしまったのだ。

ここ最近、気持ちよく起床できるのも、大したメニューでなくとも朝食が美味しいと感じられるのも、ひとえにこの通勤地獄から開放されているからなのだと痛感している。
なにより、いきなり急降下する我が腹具合の気まぐれから開放されたのが一番デカい。
通常の通勤時間帯。駅に到着し、一時も待たず、並ばず、トイレの個室に入ることは奇跡に近かった。

だが、奇跡は今日、たった今、この眼の前で起こったのだ。
もはやこれまで!と、半ばメルトダウンを覚悟してのトイレ到着ではあったが、なんと、奇跡的にトイレ内には誰も存在せず、全ての個室のドアが開いていたのだ。
今までのサラリーマン人生の中で、一度たりとも遭遇したことのないこの光景に、喜びを通り越し、驚愕と恐怖を感じてしまったのは偽らざる事実である。
(本当に人っ子一人居なかった)

そういえば、今朝乗車したバスもそうであった。
通勤していた頃、バスの停車時刻近くになると、7時ちょっと過ぎの早い時間にも関わらず、かなりの人が列をなして並んでいたものだった。
だが、思い返してみても、今日のバス停には私一人しか並んでいなかったのである。
キンキンに冷えた朝の空気に耐えるべく、クビを縮こませながら目をつぶり、ポケットに手を突っ込んでひたすらバスが来るのを待っていたから気が付かなかったのだ。
バスを待っている客が私一人であったことに。

都内の会社ならいざしらず、まさか神奈川の片隅にあるクソ田舎にまでリモートワークが浸透しているなどとは、毛の先ほども思っていなかった。
自宅で仕事するのだから、必然的に公共交通手段を利用する人間も少なくなる。
バスも然り。電車も然りなのだ。

便座から全身を伝う冷気とは違う冷たさを全身で感じていた。
コロナ感染に都会も田舎もない。確実に東京から神奈川の田舎まで染み出してきているのだと。

腹具合は急降下したまま

病院で受診するのも一苦労だった。

病院の入り口でまずアルコール消毒。
受診用ガウンに着替える更衣室への入退出時にもアルコール消毒。
視力、聴力、レントゲン、エコー、心電図、問診・・・・・ありとあらゆる検査を行う部屋への入退出時も、もちろんアルコール消毒必須である。

ステイホーム中はアルコール消毒をする必要がなかったため、これだけの回数のアルコール消毒には、いささかうんざりした。手がアルコール除菌水でふやけてしまうかと思われた。
また、受診用のガウンが薄手でピラッピラで寒いのに加え、換気のためにドアというドアがフル・オープン状態。スキマ風の侵入とのダブルパンチにより、身体が思いっきり冷え切ってしまった。

駅で海亀のごとく泣きながら腹痛に耐え忍んだというのに、待合ロビーで再び腹具合が急降下ししていまった。お小水採取以外、2回も3回もトイレに入っていた受診者は私くらいのものだろう。
「大丈夫ですか?」と看護師の方々に心配されてしまったほどだ。

一通り受診が終わり、病院を後にしたのは11時を少し回っていた。

朝のカミソリのような鋭い寒さから一転。温かい日差しがユルユルと差し込み、駅までの道中、歩きながらの身体をポカポカと包み込んでくれていた。

「あぁ・・・・・朝一番で受付しといてよかった」。
会計を済ませる際、受付には遅れてやってきた受診予定者がワラワラと現れていた。
今日という日を有意義に使うため、密をさけるため、早めに行動していたのが役に立ったのだ。
人間ドック受診。終了する時間が読めなかったため、今日は有給を取得して一日フリーの状態にしてある。
これなら午後は自分の好きなことができる。

ランチは何をテイクアウトして食べようかと思案し、駅についた途端・・・・・。
またも腹痛が襲ってきた。
なぜ???さっきあれだけ病院でもトイレに行ったのに?

もう待った無しの痛みが下腹部に襲いかかり、取るものも取らず、一目散に朝お世話になったトイレに駆け込んだ。

痛い・・・・・痛すぎる。
ギュルルルルと、まるでセルモーターが壊れてしまった車のエンジン始動時のような怪音を立てながら、我が腹が泣き叫ぶ。
またも海亀のごとく泣きながら用を足す。

一通り落ち着いてようやく合点がいった。

「あ、レントゲンの検査が終わってから下剤ガッツリ飲んだんだった・・・・・」。

やっぱり通勤電車はキライだ。
なぜなら、一番利用したいスクランブル状態のとき、個室は絶対的に空いていないからだ。
コロナ禍の今は特別なのだ、普段ならこうはいかない。
今日みたいな腹痛のときは、確実にメルト・ダウンを起こす事案になってしまう。

それから小一時間、下剤の効き目が切れるまで個室に籠もることを余儀なくされた。

有意義な午後を過ごした一日であった。
駅のトイレで巣ごもりする以外には・・・・・。

 


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