悪魔の単語「メタボリック・シンドローム」の誕生
デブ、豚、太っちょ、ふくよか、ぽっちゃり、まん丸、マシュマロ・・・・・。
世の肥満体質の人間を形容する言葉は星の数ほどあれど、平成を迎えアラフィフになり、我が目に飛び込んできて思い悩ませるようになったのは、他でもない「メタボリック・シンドローム」という呪われた単語だ。
連日の深夜にまでおよぶ残業。
帰宅するまで我慢できず食べてしまう、間食という名のジャンク・フード。
帰宅したら風呂に入ってサッサと寝れば良いのに、それでもまたガッツリと、気の済むまで用意された夕食をやっつけてしまう・・・・・。
そんな不摂生で自堕落極まりない、「食欲」を思うがままに甘受する生活を送っていれば、どうしたって太らないはずがない。
それでもガリガリに痩せているとしたら、それはそれで違った心配をせねばならぬ。
毎年受診する人間ドックの診断結果を開けば、定型文書として登録してあるんじゃなかろうか?と勘ぐってしまうほど、お馴染みの文章がズラズラと並ぶ・・・・・。
あなたはメタボリック・シンドロームです。
減量を要します。
生活習慣を改善しましょう。
内臓脂肪を減らしましょう。
うっせ、うっせ、ペッペ!!
ガッデム!!(©蝶野正洋)
言われなくとも分かっているのだ、そんなことは。
「肥満」がカタカナに置き換わっただけなのだが、登場するや否やすっかり世の中に定着・浸透してしまい、今では小学生の姪っ子にまで「五郎おじちゃん、メタボメタボ!」と嘲笑される始末だ。
鏡でパンパンに腫れ上がった顔を見るたび、どこか内蔵が悪くて浮腫んでるんじゃなかろうか?と、心配になってしまう毎日を送っている。
いわんや季節が変わるたび、前シーズンに履いていたズボンが見事に入らなくなるのだ。
自分がどれだけ横に成長してるかなど確認するまでもなく、買い直すズボンのサイズと、ベルトの穴の位置が雄弁に物語っているのである。
思えば子供の頃から太っていた
思えば、子供の頃からコロコロ太っていた。
俗にいう「肥満児」というやつだ。
母親の愛情といえば聞こえはいいが、要するに甘やかされて育てられたのだ。
第一子で長男であるがゆえ致し方なかったのかも知れないが、子供(私)にお菓子や食べ物をねだられると、無条件でなんでも与えてしまう。
母親がそうなら祖父母も例外ではない。
孫かわいさに欲しがったものは何でも買い与えていたのだから、太るな!という方が無理である。
幼稚園、小学校、中学校。進学して身長はもちろん伸びたのだが、正比例するように体重だってしっかりと増やすことに余念がない子供時代だったのである。
成人すれば少しは痩せるだろうと思ったら大間違い。
そのままスクスクと、50歳の誕生日をとっくのトンマに超えてしまったのである。
「メタボ」はオシャレに無頓着なワケではない
「メタボ」と呼ばれる人種は、総じてオシャレに無頓着だと思われてはいないだろうか?
そんなことは決してないのである。
まぁ確かに、街をゆく「メタボ」は往々にしてファッション・センスがよろしくない。
ボディラインを隠すため、無駄に布地を使ったダブついた服を着ている。
お世辞にも格好の良いデザインとはいい難い。
だが、これにもしっかりとした理由があるのである。
まず第一に、良さげなデザインの服はサイズバリエーションが少なく、気に入ったとしても買えない。
大柄なサイズの服が見つかったとしても、今度は色味も地味でカッコ悪いデザインだったりする。
アチラを立てればコチラが立たないのだ。
そして何よりこれが一番大事なのだが、フィッティングに異様に時間がかかるのである。
アレもコレも、さまざまなサイズやデザインの洋服をフィッティング・ルームに持ち込み悪戦苦闘する。
着れる洋服に出会うまで、何度も何度も着たり脱いだりを繰り返さなくてはならないのだ。
もうこれだけで疲れ果ててしまい、最後は「デザインなんてどうでもいい!」となってしまう。
ようやくサイズの合うズボンと出会えたとしても、今度は裾上げをしてもらわなければならない。
ズルズルと、余りにも長いズボンの裾を引きずっている自分の姿が鏡に映る。
「俺は遠山の金さんか!?」と、思わず食い気味でツッコんでしまうのは毎度のことだ。
「メタボ」はオシャレに無頓着なのではない、オシャレに至るまでの過程で疲れ切ってしまうのだ。
このままではダメだ、ダイエットをせねば!
アラフィフになり、今さら痩せて女性にモテてウハウハしたい欲望などない。
こんなルックスの自分でも妻帯者になれたのだ。かといって金はまるっきり持っていない。
これはもう奇跡に近い、いや奇跡だ。
妻は目が悪いのだが、このまま静かに天国に召されるまで、視力の回復はしてもらっては困るのである。
「メガネを新調したい!」といくら懇願されても、頑なに拒否し続けている。
異性に関するエトセトラは、これ以上期待するほうがバチが当たるというものだ。
でもダイエットをせねばならない。
これはひとえに「健康」を維持するために他ならない。
約10年前に生死の境をさまようような大病を経験してしまってから、すっかり人生観まで変わってしまったのである。
拾った命を寿命までしっかりと使い切るには、それ相応のメンテナンスが必要なのだ。
妻のため、そして何より、定年後にメタボが原因で、年金ももらわぬ内にポックリ逝くのだけは我慢ならないのだ。
そのためにダイエットをする!
もう「いうだけ番長」では済まされないのだ。
約2か月以上かかってしまったが、ここにようやく、本ブログにてダイエットを高らかに宣言してしまった。
もうこれで後には引けないのである。
この「毒針を持つ男」、複数の友人もバッチリ更新をチェックしているのだ。
これで体重に何の変化もなかったら、今度は周りが黙っちゃいないであろう。
次回より、徐々にダイエットの経過や自分なりの取り組みを書いていこうと思う。
人生最後のダイエットと銘打ち、必死に頑張ってみたい。
本当のこと言うと、ちょっとオシャレもしたいのである。
スリムなジーンズ履いてみたい・・・・・。