気づかぬうちに忍び寄る顔の劣化

どうしても味わえない非日常

飽きた。

ぶっちゃけ、外出自粛による余りにも単調で変化のない日々の生活に飽きたのだ。
家の中で出来ることは多々あるのも承知しているし、リモートワークで日々の業務をこなしつつも、どうしたって単調で味気のない時間が刻々と過ぎていく。
外出するにしても、必要最低限の買い物と日課にしている小一時間のウォーキングくらいであるから、買うお店もウォーキングのコースも完全固定化されてしまっていることにより、もうマンネリ感がハンパないのである。

それなりに巣篭もり生活をエンジョイすべく、ベランダにテントを張りプチ・キャンプ気分を味わう、「べランディング」なるものも試したりもしたのである。
日常の中での非日常体験を追求してみたのだが、トイレに行くために窓から室内に入れば、そこはもう日常の世界に逆戻りするため、いまいち盛り上がらない。
「いちいちご飯をテントまで持っていくのが面倒くさい、寝るときだけテントに行け!そうしたらベッドを広々使える!!」と、日常よりも数倍多い妻からの罵詈雑言にだけ、非日常を感じるくらいなのである。
また、ベランダに出てみたところで、目にする風景は日常のそれと全く変わることなどなく、ベッドをテントに変えてみたところでさほどの非日常感は味わえない。
キャンプは野外でやるからキャンプなのだと、小学生でもわかることを今更ながらに痛感すると同時に、硬いベランダの床に寝たせいで背中を痛めるというオマケまでついた。
それ以来、べランディングをやる気もすっかり失せてしまったのだ。

出遅れたマイナンバーカード申請

アベノマスクも届かぬ中、政府からの給付金申請が近々始まるとのアナウンスがあった。給付金が支給され人々が人心地ついたころ、果たして例の布マスク(二枚入り)が無事に我が家に届くのかどうか思いを巡らせながら、非常に大切なことをすっかり失念していたことに気がついた。

そう、マイナンバーカード申請である。

紙の通知カードはとっくに郵送されてきていたのだが、マイナンバーカードの必要性にかられる事態に遭遇することなく生活してきたため、また、面倒くせぇだろうなぁ~との一方的な思い込みにより、今までその存在自体を忘れていたのである。マイナンバーカードでの申請の方が早く給付金がもらえるだろう。この浅ましい根性一点のみで、すぐさま申請に踏み切ったのは言うまでもない。妻からの矢のような催促があったこともあり、市役所のホームページで申請手続きのステップを確認した。

申請自体はとても簡単で、ホームページから各種必要事項を記入し申請ボタンを押すだけという、シンプル極まりないものだった。こんなに簡単なら、駆け込み申請がごった返すこんな時期ではなく、もっと早くにしておくべきだっと後悔しきりである。
ただ一つ面倒だったのは、顔写真を一緒に送付するということだった。

確実に顔が変わっている

最後に証明写真を撮影したのはいつの頃だったろうか?
入社や転職の際に送付した履歴書、そのくらいしか自分の顔を真正面に見据えて撮影した記憶があまりない。それももう何年も前の話だ。(運転免許証の写真は、更新時に最寄りの警察署で婦警さんがデジカメで勝手に撮ってくれた)
カメラを趣味にしていることもあり、他人を撮影することはあっても自分が撮影されることは滅多にない。また、余りに醜いアグリーなルックスも手伝ってか、写真に撮られること自体が好きではないのだ。

マイナンバーカードには真正面から撮影した画像データ送付が必須となっていたから、仕方なく妻にスマホを渡し、シブシブ撮影をしてもらったのだ。

何枚か撮影してもらっては、その場で自分の顔写真を確認する。
スマホの液晶から映し出される自分の顔に、どうにも妙な違和感があった。
妻曰く、「別段何の変わりもなく、いつものくたびれて汚いオッサンの顔がちゃんと映っている。スマホには何の問題もないわよ!」とのことだった。
何度見てもぬぐえない違和感に納得が行かなかったが、これ以上文句をいって撮影続行を依頼しようものなら、購入して2年以上経過するIPhoneの買い替え要求を突き付けられそうな恐れがあったため、泣く泣く断念した。

アラフィフを超えているので顔の経年劣化は承知の上である。
彫刻刀で力いっぱい彫り込んだような豊齢線ほうれいせん、目尻の小じわ、カサついた肌に浮いた数々のシミ、慌てて抜いた鼻毛。こんなもので自分の顔写真に納得がいかないほど、ナルシストで顔面現実逃避するタイプの人間ではないのだが、ジッと見つめていて分かったことがあった。

顔の左右が非対称なのだ。
顔の右半分が地球の重力に逆らいきれず、だらしなく垂れ下がっていたのだ。
普段から右側のアゴを使って食事をしているせいなのか、常に右側を向いて寝ており、枕に右頬を押し付けているせいなのか理由は判然としないが、映し出されたその顔は、無残にもバランスが崩壊していたのだ。
昔から太っていて丸顔だったので気にしていなかったが、今やその顔は楕円形となり、なおかつ右側が少しだらしなく垂れている。自らを美容やオシャレとは縁遠い存在であると、無理やり言い聞かせて生きてきた半世紀であるが、この顔のタルみには愕然とさせられた。
どのようなシェイプを持つ物体であろうとも、その対称性が崩れたとあっては、いかに他のパーツが整っていようとも(私は整っていないが)全体としての調和は崩壊する。

あぁ、普段から鏡で見ていたマイ・フェイスは、脳内でしっかりとバイアスがかかった虚像に過ぎなかったのだ。
自分が「これちょっといい感じじゃね?」と思っている顔面形状を、脳が都合よく変形させて投影していたに過ぎなかったのである。今回のスマホで撮影された我が顔面が、いかに破綻をきたしているかを網膜にはっきりと焼き付けてくれたのである。
脳内変換されることなく、ありのまま、そのままを直接届けられてしまった。

機械は無慈悲で非情だ。
どれだけ念じたとしても、醜いものは醜いままセンサーにその形と色を記録される。
まだまだイケてんじゃね?という愚かな自尊心を戒めるべく、世のアラフィフおやじよ、今一度スマホで自撮りをしてみるべきなのである。
そこには疲れ切ってくたびれ果て、顔面非対称の顔が映っているはずである。
ささやかな自尊心がいかに悲しいものであるか、はっきりと再認識させてくれるだろう。

そうか・・・・・薄々それが分かっていたから、私はスマホの自撮りが大嫌いだったのである。
私のiPhoneには、妻が撮影してれた顔写真以外に、自分自身を撮影したものが一枚もないのである。

納得。


タイトルとURLをコピーしました