最近のTV番組はつまらないっていうけど
「サクラァ~ふぶぅ~きのぉ~!サライィ~の空うぇ~!・・・・・」
このコロナ禍の最中、さまざまな賛否両論の嵐をものともせず、今年も24時間テレビの放送が無事に終わったようである。このような書き方をしているのはズバリ、今年も同番組を一瞬たりとも視聴することがなく、番組に関する情報は全て、後からネットで仕入れたものだからだ。
連日におよぶ強烈な日差しと暑さのおかげで、当日はすっかりシオシオのパーになってしまっており、TVを楽しむこともなく早々にベッドに潜り込んでしまったのだから、番組の様子は知りようもない。
今年は、恒例となっている公道でのチャリティーマラソン実施を断念し、その代わり、シドニーオリンピック金メダリスト高橋尚子氏が率いる「チームQ」の面々が、走破した距離に応じて、自らの募金額を増額しながらリレーをするという企画に変更された。
これには驚いた。チャリティー番組にも関わらず、出演者に高額のギャラが発生しているなどと揶揄されているこの番組にとって、掟破りの逆サソリのようなこの手法は、目新しさも手伝ってか、多くの視聴者から喝采をもって受け入れられたようだ。
でも、後でしっかりと走者はギャラもらってんだろうなぁ~・・・・・と、感動もクソもなく、うがった目線で同番組や世間を斜めから見ている私には、天からのチャリティーは降ってきそうにない。
お願いだから、ちょっとだけでもいいからお恵みを与えていただきたい。
連日の炎天下により、身も心も、そして、在宅勤務を理由に減額されている財布の中身も、ひび割れた水田のごとく干上がってカラッカラだからである。
パートで頑張って働いている妻に申し訳なく、今日も自室で仕事をしながら、扇風機の風だけで涼を取っている。
クーラーを点けたおかげで跳ね上がる電気料金を心配しているのでは、決して無い。
東京電力からの請求書を突きつけられ、「どうしてこんなに電気代が高いの!!あんたの会社は在宅勤務なのに、手当も何にも出ないわけ?」と、詰問されるのがイヤだからではない。
妻がパートで汗を流して頑張ってくれているからだ、ソレ意外になにがあろうというのか・・・・・。
電気料金の高騰を異様に気にする妻だが、自らがベッドに入る時は、朝までクーラーをガンガンに点けてグッスリ就寝しているのはいうまでもない。
翌日の仕事に影響するからだそうだ。
ねぇ・・・・・日中は、俺も自室で働いてんだけど・・・・・。
もはやTVよりネットの時代なのか?
若年層を中心にTV離れが叫ばれている今日このごろである。
欲しい情報は手の平にあるスマホから何でも入手できるし、地上波のTV番組より面白く、様々な趣味趣向やニーズを満たしてくれる、トンがった内容の映像や音声コンテンツが、ネットには山ほど存在する。(玉石混交の状態ではあるが)
今や、リビングに鎮座ましましているTVの前に、子供たちが陣取る姿など見ることがなく、夕食を食べ終えるとすぐにそれぞれの自室にこもり、ベッドの中でスマホ画面を眺め、いつの間にやら寝落ちしてしまっている。
こんな光景が日常として、すっかり定着してしまっているのではないだろうか?
私には子供がいないので、見聞した内容や想像したことを書くしかできないのだが、子供を持つ親のほとんどが、子供との会話が少なくなり、顔を見る時間も少なくなったと言っている。
息をするのと同様、子供たちはスマホを片時も手から離さない。親の顔よりスマホ画面を見ていたいのだろう。
私が生まれて初めてファミコンと出会い、スーパーマリオをプレイした時と同様の衝撃と驚きを、平成後期キッズはスマホで得ているのだ。
そりゃ親の顔見るより、自室にこもって自分だけが主人公の世界に没頭したくなるのはわかる。
「スマホばっかりやってないで、少しは勉強しなさい!」というセリフは、ファアコンがスマホに代わっただけで、昭和キッズだった私だって、親からさんざ言われてきたことなのだ。
もっと前の世代なら、ファミコンがマンガに代わっていただけだと思う。
ゲームやエンターティメント、情報を入手できる媒体やハードウェアが変わっただけなのである。
ただ、大昔と決定的に違っていることといえば、ネットワークという通信手段により、情報が全世界と繋がっているということに他ならない。
インターネットの登場により、情報の入手方法や娯楽、果ては、働き方のあり方まで変えてしまったのである。
ネットは万能じゃない
インターネットにより、世界中のありとあらゆる情報が入手できる現在ではあるが、果たしてインターネットは全知全能の神たりえるだろうか?
答えははっきりと、ノーであると言える。
インターネットで欲しい情報を入手したい場合、GoogleやYahooの検索窓にキーワードを入れて検索するだろう。たちどころに検索エンジンが、目的に合致した情報を記載したウェブサイトを探し出してくれる。テキスト情報、音声・画像情報、映像情報、なんでもござれである。
ネットがなかった時代、わからない英単語一つを調べるにも辞書を手元に引き寄せ、目的の単語が記載されているページをめくって探し当てる。今でこそ、こんな気の遠くなるように感じられる動作を必要としていたのが、検索窓に単語を入力するだけでその答えが返ってくる。
英語学習の生産性が飛躍的に上がったのは言うまでもない。
(かといって、私はちっとも英語が喋れないし、長文は途中で読むのを諦めてしまう・・・・・)
検索の手軽さと、入手できる情報のバリエーションは劇的に向上したけれど、それはあくまでも自分が能動的に検索した結果にすぎない。検索した情報を入手した。ただそれだけだ。
つまり、自分が調べたい情報以上のものは手に入らないということである。
インターネットは必要な情報を自分自身で取りに行く。プル型の情報基盤であるがゆえ、自分が知り得ている情報以上のことは、自分自身の知識量・情報量を増やさない限り頭打ちだ。
(検索履歴により興味を持ちそうな情報を提案してくれる機能もあるが)
一方TVはプッシュ型のメディアだ。
TVを点け、チャンネルを合わせて番組を視聴することにより、自分に興味があろうがなかろうが、勝手に情報を一方的に送りつけてくる。嫌ならばチャンネルを変えるなり、スイッチを切るなりすれば良い。何となく情報バラエティー番組を視聴して、気になる情報があったらネットで詳細を調べる。
このような感じで、TVやネットを楽しんでいる人がほどんどなのでは無いだろうか?
実際、私はそうなのだ。
メディアの特性を認識して使い分ける
TV番組を見て気になる情報があったらネットで深堀りする。
プッシュ送信された情報を自分で取捨選択し、興味があるものについてはネットで自分で探す(プル)というのが、現在の両メディアの楽しみ方なのではないかと思う。
それが顕著に出ているのがTwitterだ。
人気のあるTV番組やドラマが放映されると、放送途中にもかかわらず、Twitterのトレンドワード上位にそれらが現れる。最近のTVはつまらない!と悲観にくれる貴兄が多いのは分かっているが、ところがどっこい、まだまだTVはメディアとしての影響力を衰えさせてはいないのである。
新たなる興味、習得したい知識の絶対量を増やすのはネットでも何でもなく、実際の生活だ。
仕事をしたり読書をしたり、リアルな実生活の中からこそ必要とされる、検索すべき情報が新たに積み上がっていく。それをネットを使用して効率的に調べ、自分の知識の血肉に変えていく。
それぞれのメディアが持つ特性を最大限に活かしつつ、知識の血肉を増やすことを怠ってはいけないのである。
先程、自宅のネット環境がおかしくなり、小一時間ほど外部と通信ができなくなってしまった。
仕事で資料を作成途中、どうしても意味がわからない英単語に遭遇し、仕方なく何十年ぶりかで英和辞書を書棚から引っ張り出した。
革の表紙はところどころに剥げ、見るも無残な状態であったが、ページを開いた途端、ツルツルとした紙の手触りとインクの香りで、一気に学生時代へタイムスリップした。
まぶたを閉じ、しばし思い出の余韻に浸ってみる。
あぁ、こうして学生時代は苦労して英単語を探したっけなぁ・・・・・。
その後30分近く英和辞書と格闘したのだが、目的の英単語を探し当てることはできなかった。
それもそのはず。その英単語はネット誕生以降に作られたものであり、私が持っている辞書には載っているワケがなかったからである。
心の底からネットのありがたみと必要性を再認識した夕刻であった。
あ、そろそろ妻が帰宅する時間だ。
これで堂々とクーラーを点けられる!
作成途中の資料そっちのけで、そそくさとリビングのクーラを点け、妻の着替え終わりを待つ。
ひんやりとしたクーラーからの風を受け、そろそろ本気で秋になってほしいと願わずにはいられない。
もう暑いのはたくさん。
それと、調子の悪いルーターも。