まだ成果は出しようがない
高らかにダイエットを宣言し、糖質オフダイエットに余念のない日々を過ごしている。
ダイエットの取り組みやら成果について記事を書こうかと思ったが、いかんせんまだ3日しか経過していない。
体重はほんの少し減少したものの、今のところは報告するほどのものではない。
「たったそれだけ?、そんなの体内の水分が減っただけじゃねぇか!」と、ドヤされそうである。
焦るまい・・・・・。
悲しいアラフィフである。
成果を急いでも若い頃のようにはいかぬ。
加齢により絶対的な筋肉量が減っており、基礎代謝量も比例して落ちている。
「すっかり痩せにくい肉体に退化してしまっている」という事実は揺るがし難い。
はかない抵抗として筋トレをやってはみてはいるが、それでも毎日スクワットを60回やる程度だ。
何もしていないよりマシでしょ?、のレベルである。
そしてダイエッターの悲しい性か、よせばいいのに一日に何回も体重計に乗ってしまう。
乗ったところで表示される数字は一向に変わらず(下手したら増えてる!)、出てくるのはため息ばかりである。
ダイエットを試みた方には絶対身に覚えのある、「ダイエットあるある」であると確信している。
地道な日々の積み重ねがいつか大輪の花を咲かせる!と信じていなければ、とっくにモチベーションが枯渇しそうだ。
ダイエットは孤独な己との戦いなのである。
(なに偉そうに語ってんだ、食いすぎた日々のツケを払ってるだけだろうって?)
こんなにヤセていいかしら
1998年7月、後に大ベストセラーとなる一冊の本が発売された。
そのタイトルは「こんなにヤセていいかしら」。
著者は俳優の川津祐介氏である。
ハードボイルド刑事ドラマ「Gメン75」に出演し、華麗なるアクションと端正な顔立ちの俳優という認識しかなかったので、 なぜ彼がダイエット本を出したのだ?と、当時クエスチョンマークが一杯であった。
だが、気がつけばこの本があっという間に大ベストセラーとなり、TVで紹介されない日はないほどの一大センセーションを巻き起こしたのである。
「こんなにヤセていいかしら」というタイトルも秀逸だったとしかいいようがない。
いかにも痩せられる、効果が出ます!という感じだったのだ。
(今見ても結構インパクトのあるタイトルではなかろうか?)
当時まだ学生で二十歳そこそこだった私。
当然のことながら、子供の頃から変わらない体型を維持しつつ、成人の儀式を無事に終了させたのだ。
いわゆる、はじめまして!「成人デブ」である。
もちろん愛を語ることなどなく、ましてや口づけを交わすことなど絶対になかった。
だたひたすら汗をかきながら、デップリとした腹を抱えて小田急線で新宿まで通学する毎日を送っていたのである。
あぁ、無情!
人並みに恋愛だってしたい二十歳の青年である。
今と違って、やんごとないリビドーだって全身から湧き出していたお年頃だ。
「太っている」という肉体的なハンディにより、様々なものに我慢という蓋をして生きていたのである。
(書いてて悲しくなってきた・・・・・)
とにかくこの本に出会い、私は生涯で初めてのダイエットを決意し、そして成功することができたのだ。
それが川津祐介氏の説く正しいダイエット方法を実践していたか?、については議論の余地はあるのだが、とにかく、実際に減量に成功したのだ。
本文中で解説されたダイエット法
この著書の中で紹介され、私も実践したダイエット法が二つある。
一つは「骨盤体操」、もう一つは「はんぱ断食」である。
(もう20年以上前の著書ゆえ手元に現物がなく、私の記憶の範囲で書かせていただいている。間違いがあった場合はご容赦いただきたい)
ここで今一度おさらいしてみたい。
骨盤体操
①まず仰向けに寝る。
②両足の親指同志をくっつけ、漢字の「八」の字のような形にする
③息を吸いながら足を上げる(床から10cm程度)
④息を吐きながら足を下ろす
⑤骨盤の内側を撫でる
これだけを一日一回、三十秒行うのだ。
一日に何回もやってはいけないらしい。
本当にこんな簡単な体操で痩せられるのか?
半信半疑だった私は、上記のやり方では生ぬるい!と感じ、就寝前に何度もこの体操を繰り返し行っていた。
かなりの勢いで骨盤が動いていた(開いたり閉じたり)感覚があったのを覚えている。
結構キツかったと思う。
はんぱ断食
骨盤体操に対して、はんぱ断食のやり方は以下のようであった。
①断食前日:思い切り食べる。もうこれ以上は食べられない!というとこまで食べまくる。
②一日目:何も食べ物は口にせず、お茶(お水)を飲んで水分補給だけを行う。
③二日目:朝と夕、お粥半膳にお茶をかけて食べる。
④三日~四日目:朝と夕、お粥二杯にお茶をかけて食べる。
⑤五日~七日目:朝と昼と夜、お粥二杯にお茶をかけて食べる。
こんな感じだったが、とにかくお粥は恐ろしく味気なく、我慢ができずに味のついた海苔の佃煮を上からかけて食べた。
食べる時は、最低でも一口で三十回以上は噛んで、咀嚼して飲み込むようにしていた。
こうすることにより、中枢神経が刺激されて満腹感を得られるようになる。
骨盤体操はそれなりに楽しくやれていたのだが、いかんせん、はんぱ断食は辛かった。
「はんぱ」なんて言っているが、一週間のうちほとんど「お粥」しか口にしないのである。
味にも飽きるし、なにしろ量がチンマリしてて少なくて仕方ない。
のっけから強烈な飢餓感に襲われて、夜もなかなか寝付けなかったのを覚えている。
よくよく考えてみたら、今のダイエットで主流になっている「デトックス」を、いち早くこの段階で取り入れてはいないだろうか?
お粥というシンプルで消化の良い食べ物を少量だけ口にして、後はお腹の中を空っぽにする。
時間が経過してくると、汚い話で恐縮だが、腸の中に溜まりに溜まっていた「宿便」が出てくるのだ。
それも、結構エゲつない量の「宿便」だ。
その当時、「宿便」を実際に出した経験がなく、一体どのようのものが身体から出てくるのか不安だったが、少し柔らかくゆるい感じのモノが、結構な重量感をもって出てくるのである。
あ、何となく身体が中からきれいになっていく!と感じたものである。
実際に90Kg→68Kgまで減量できたのだ
約三か月の格闘の末、体重を90Kgから68Kgまで減らすことができた。
実に-22Kgの減量に成功したことになる。
上記やり方は一週間を目処に立てられたカリキュラムだったが、私はそれを三週間以上続けたのだ。
事情を知らない近所のオバちゃんなどは、見る見るうちにやせ細っていく私を見て、口々に「あの子はきっと癌だよ・・・・・若いのにかわいそう・・・・・」と噂されていたらしいと、母親から聞いた。
それだけ、短期間で一気に体重を減らすことができたのだ。
きっと著書の中では、読者自身に無理のないペースで健康的にダイエットをすべし!と記載されていたはずなのである。
はんぱと銘打ってはいたものの、断食は断食である。
はんぱ断食をして三週間が過ぎ、どうしても喉の乾きが我慢できず、新宿の「タカノフルーツパーラー」でミックス・ジュースをコップ一杯飲んだのが悪かった・・・・・。
今まで我慢に我慢を続け、ほとんど「お粥」と水、お茶しか口にしてこなかったのである。
そこに、様々なフレッシュフルーツの果糖が入った液体が一気に胃の中に入ってきたのである。
そりゃ胃だってビックリするはずである。
突然の訪問者をしっかり消化すべく、一気に胃の中に血液が回ってきたのである。
気がづけば、帰りの小田急線の車内で真っ青・・・・・いや、土気色した顔をしてうずくまって座り込んでしまった。
胃がおかしくなりそうなくらいに動いているのがわかる。
まるで自らの意志を持って、勝手に体の中を動き回っているようだった。
気がついたら、見たこともない天井の色に気がついた。
倒れていたらしい。小田急線の中で。
その日、同じ小田急線で帰宅するクラスメイトの女子に助けられ、彼女の家で一晩寝かせてもらうハメになった。
彼女の親御さんにも迷惑をかけてしまった。
翌朝になってもフラフラと足元もおぼつかなかったが、なんとかお礼だけを言い、再び小田急線に乗って最寄りの駅に降り立った。
こんなやり方の減量、川津祐介氏が知ったら激怒するだろう。
だが、ちょっとでも体重が減ると嬉しくなってしまい、もっと!もっと!と、際限なく体重を減らすことで脳内物質を出そうとしていたのかもしれない。
痩せることで快感を得ていたのだろう。ドーパミンがビンビンと分泌されていたに違いない。
こうして、人生初のダイエット成功体験をゲットしたのもつかの間。
新社会人になり、ブラックな働き方のおかげであっという間にリバウンドしてしまったのだ。
深夜残業でジャンクフードを恒常的に食べてしまう生活をしたら・・・・・。
今回のダイエット、とにかく無理と無茶はしない。
減量できた暁には、リバウンドもしないようにアフタフォローもしっかりやるつもりだ。
もうリバウンドは二度とゴメンだからだ。