2023年6月18日

何事も自分がどう捉えるか?

物価高に我が家の収入が追いつていかない。
収入が固定的で上がる目算がない以上、家計において収支をプラスに持っていくには、どうしたって支出を減らす以外に有効かつ効果的な手段を見出すことができない。

スマホや保険などの固定費を徹底的に見直し、外出や外食は極力控える。
電気代も爆上がりしているので、こまめに節電を心がけ、エアコンなどは使わないようにコンセントからプラグを引き抜いてしまっている。
洋服などもしっかり断捨離し、必要最低限な枚数を所有するにとどめ、クローゼットの中身もかなりサッパリさせている。
入浴に際し、洗髪は風呂桶の中のお湯を最大限有効活用するという、小学生時代を自ら追体験しているありさまだ。
(妻は一応は女性である。いくらなんでもソレはさせられないのでシャワーを使ってもらっている)

妻からの「徹底節約」の大号令の下、爪に火をともすような思いをしながら日々の生活での無駄を省いているのだ。

妹からは、「お兄ちゃん、そんなケチ臭い生活してて息が詰まらないの?ケチケチしたって死んじゃったらオシマイじゃん!メリハリのあるお金の使い方すればいいんであって、そんなに我慢してたら人生楽しくないよ!」と、顔を見るたびに小言を言われる。

妹よ、それは、お前の旦那様がしっかりとした地方公務員という職に従事しているから言えるのであって、明日をも知れぬ民間企業に努めていた小市民の心には少しも響かないのだよ。
年金だって計算してみたらビックリするくらい少ないのだから・・・・・。
と、心の中で呟いてみたところで少しも状況は変わらない。

昭和に学校教育を受けた人間は、すべからく、苦労して頑張らなければ富や幸せを手に入れることが出来ないという呪縛を、遺伝子レベルで刷り込まれているのである。
老後の資金に2,000万円用意しなくてはならないのなら、定年になる前にできるだけ沢山のお金を残し、イザというときのために準備をしておかなくては、という脅迫観念から逃れることができない。
故のケチケチ生活なのである。

だが、このケチケチ生活も慣れてくるとそんなに惨めったらしいものでもない。
敬愛する稲垣えみ子さんの著書を読めば、節約道を極めたるもの、上には上がいるのだと勇気づけられる。
なにせ地球に優しい生活を心がけるため、一切の家電製品を捨てての生活を続けているのである。
これ以上の究極のエコ、究極の節約生活はどこにあるというのだろうか?

節約生活を、「我慢」というネガティブワードで一括りにしてしまうから悲壮感が漂うのだ。
先月より少しでも節約することができたという証拠(要は支出が減った)を目の前にすれば、否が応でもテンションが上がる貧乏人根性を利用しない手はない。
楽しみながら節約生活をする。もはやゲーム感覚である。
無理ゲーとも思えるような節約も、それをクリアすることにより自分の精神的なレベルも上がるのだ。
ドラクエではないが、ファンファーレとともに節約レベルが上がったとなれば、脳内にはアドレナリンがドピュドピュ出てくるに違いない。

今日は久しぶりに妻と外出してみた。
もちろん外食はお金がかかるので、近くの業スーで購入したお弁当を持ち、目的地である平塚アウトレットモール近くの公園のベンチでランチを済ませたのだ。
ちょっとしたピクニック気分である。

自粛していた外出も、こういう形でなら節約しながら楽しめる。
要は気の持ちよう、工夫の仕方なのだとつくづく思う。

ランチを摂った公園には赤い紫陽花が咲き誇り、平塚アウトレットモールでは幻の名車「トヨタ2000GT」を見ることができた。
これだけでも出かけた甲斐があるというものだ。

ちょっとしたことに日々の楽しみを見つけて暮らす。
こういうのがアラフィフの夫婦にはしっくりきている気がするのである。


つまらない日記に付き合ってくれて、本当にありがとうございます。

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