紫陽花恐るべし
母親はガーデニングの真似事をして余暇をエンジョイしている。
近所のホームセンターや花屋に行き、季節ごとの花を買い求め、陶器のプランターに寄植えしては玄関先に飾っている。
パッと華やいだ玄関先は小さな花畑のようで、出かけるたびに目を楽しませてくれている。
朝ドラの主人公のように草花を心底愛でる趣味は持ち合わせていないが、はやり、季節ごとの花々は、その色鮮やかさと生命力を見るものに届けてくれる気がするのである。
ご近所に住む母親のお友達。
彼女たちも母親同様にガーデニングをたしなんでいらっしゃるようで、時折、自宅で採取した花の苗木をおすそ分けしてくれたりする。
数年前、母のお友達が紫陽花の苗木を持ってきてくれ、それらを我が家の裏庭に植えてくださった。
裏庭と呼ぶにはあまりにも狭く、かといって花を植えるにはちょっと広い中途半端な面積の場所に、紫陽花の苗木はジャストフィットする大きさであった。
黒黒とした土からちんまりと顔を出していた紫陽花の苗木。
気がつけばあれから数年が経過し、今では裏庭を埋め尽くし、さながら紫陽花ジャングルのように大量の花を咲かせるようになってしまった。
箱根登山の紫陽花列車は車窓から見るから風情があるのだ。
遠目で見ながら、「あら綺麗ねぇ~」と目を細める程度の距離感で見ているのなら具合がいい。
だがこれが、自宅の裏庭にジャングルのごとく生息しているとなると話は別だ。
あれだけ隙間だらけだった裏庭は、もう足の踏み場もないほどに紫陽花に占拠され、黒黒とした土は一切見えない。
裏庭の土壌は酸性らしく、真っ青な紫陽花が顔の高さでゆらゆらと咲き誇っている様は、見事という表現を通り越して少し怖いくらいだ。
この時期になると、繁殖の限りを尽くしてしまった紫陽花を剪定しなくてはならない。
このまま野放図に、育つままにしていたら収拾がつかなくなる。
ただでさえ足元の土が見えなくなるほどに繁茂し、花の下には太く節くれだった枝が毛細血管のように張り巡らされているのだ。
このままで良いわけがない。
今日の夕刻は比較的涼しく、剪定作業をするにはちょうどよい陽気であった。
剪定ばさみと小ぶりののこぎりを持ち、裏庭の右端から左端まで一心不乱になって枯れかけた花と葉、繁茂しすぎた枝を剪定していく。
もう問答無用だ。
去年も跡形もないほどに、やりすぎなんじゃないかと思われるほど剪定した。
剪定というより、根っこ付近の枝を残して刈り込んでしまったと言っても過言ではない。
それでもまたジャングルのように紫陽花はスクスクと育っていく。
小一時間ほど紫陽花ジャングルと格闘し、どうにかこうにかスッキリさせた。
中腰で作業を続けていたため、もぅ腰が悲鳴を上げて泣き出している。
どんなに乱暴に剪定しても、きっとまた来年の今頃はジャングルの如き様相を呈しているであろう。
鉢植えで育てていたヤエコデマリ、今年の春に裏庭に植え替えた。
こちらは紫陽花とは違い、水や肥料をやってもちっとも育つ気配がない。
自然というのは思い通りには行かないものである。
剪定作業を後ろから眺め、あ~でもない、こ~でもないと、指示だけは一人前以上に口をだす母親も、これまた自然同様に思い通りにはいかない。
見てないで少しは手伝えっての!
つまらない日記に付き合ってくれて、本当にありがとうございます。