Mr.大黒堂
「ぢは苦しい」
一昔前、大手新聞社が発行する新聞紙面にデカデカとそのコピーを掲げ、痔の症状にともなう痛みと苦しみ、そして、発症する謎のメカニズムを怪しげなイラストとともに紹介していたのは、大阪に本社を置き、200年以上の歴史を持つ「ヒサヤ大黒堂」だ。
痔を平仮名表記する際、「じ」ではなく、あえて「ち」に点々をつけた「ぢ」を用いたことによるそのインパクトの強さは、痔の症状に関する知識を何も持ち合わせていなかった小学生時代の私にも、そうとうに激しい痛みをともない、そして何より、かなり恥ずかしい病気なのであろうということを、否応なしに脳内にインプットするに余りあるものだった。(なにせ肛門にできる病気なのである、その恥ずかしさたるや相当なものだ)
思い起こせば、私が高校生時代、歴史担当教諭が愛用していた座布団が見事にドーナツ型だった。
アレは「ぢ」を患ったものが背負わなくてはならない重い十字架だ。
歴史担当教諭はいわゆる「オヤジギャグ」を授業中に連発し、それがどれだけダダ滑りしていようが、思いっきりウケていると勘違いしている、今で言えばかなり痛い部類に入るアラフィフおやじだった。
とにかく、そのクチから出てくるギャグ全てが、当時の高校生の感性と800万光年ほど遠ざかっており、あまりのツマらなさと、その場の空気の冷たさに誰もが耐えられなくなり笑ってしまうという始末だった。
ソレをウケていると思ってしまい、更にオヤジギャグがエスカレートしていく。
無限ループに近い地獄が授業中エンドレスで繰り返されていたのだ。
歴史の年号や重要な出来事は頭に記憶されることはなく、歴史と聞くと、恩師のダジャレとドーナツ型の座布団しか思い出すことができない。
私が大学受験に失敗した最大要因の一つとして、恩師の授業が入っていることは言うまでもない。
そして、こんな歴史担当教諭につけられたアダ名はもちろん、「Mr.大黒堂」だった。
「Mr.大黒堂」は今もご存命だろうか・・・・・?
「とんでも8分(はっぷん)、歩いて15分! ガハハハハハ!」と、教室中の生徒が異次元に飛ばされるかのような、何の意味があっての歩いて15分なのかサッパリ理解不能なギャグに、思わず侮蔑を含んだ笑いを口の端から漏らさずにはいられなかったあの頃が懐かしい。
悪寒は突然に
「Mr.大黒堂はドーナツ型座布団を今も愛用なさっているのだろうか?」
ふとそんな事が頭をよぎる午後3痔時。
私はベッドの中に居た。
先週水曜日辺りから体調を崩し、何やら全身に悪寒が走っていたので、これはまた例のアレか?と嫌な予感はしていた。
私は軽度のアトピー性皮膚炎を患っており、ちょっと汗をかいても全身に痒みが走ることが多々ある。
特に汗溜まりとなる脇、肘の内側、首筋などは顕著であり、気がつくと爪を立てて患部を思い切り引っ掻いてしまうクセがついている。
そこからバイ菌が体内に侵入し、リンパ腺を腫れ上がらせながら全身を巡り、最後は高熱を出して寝込んでしまう。
そんな一連の諸症状のプロローグが全身に走る悪寒なのだ。
一度そうなってしまうと2~3日は確実に寝込んでしまう。
そうなる前になんとかせねば、抗生物質を服用せねば!と思い立ち、近所のかかりつけのクリニックのドアを叩いたのが先週金曜日の16時半(木曜日はクリニックが休診のため)。
微熱があったことからクリニック施設内での受診が叶わず(コロナ対策のため)、駐車場に停めた私の車の中で、全身防護服とフェイスシールドで完全装備された主治医とのご対面とあいなったのである。
駐車場は結構交通量の多い国道に面しており、道行く車からはこちらが丸見え。
完全防備された医師により、上半身裸にされたアラフィフのおっさんが聴診器を当てられている図に至っては、完全に映画「アウトブレイク」の世界のソレである。
どう考えても私がコロナに感染している恐れがある以外、誤解されようのないシチュエーションと絵面である。
問診のほかに採血もしてもらい、出てきた結果は、はやり体内にバイ菌が侵入しての症状の所見が出ているとのことだった。採血の結果の値もソレを示しており、白血球の数値が上がっていたのだ。
このような症状は年に1回は必ず起こっていたので、いつものように解熱剤や抗生物質などを処方してもらい、その日は用法に沿った、正しい薬の服用をして就寝した。
次の日には良くなっていると確信して。
激しい上半身の痛み
翌日(土曜日)の目覚めは最悪だった。
目が覚めるや否や、左胸部に刺すような激しい痛みが走り、顔をしかめながら思わず口を小さくすぼめて、息を鋭く吸っていた。
「ッスゥゥゥ~・・・・・痛ってぇ・・・・・」。
人間、激しい痛みに襲われると呼気が鋭くなるものなのである。呑気にノンビリと息など吸ってはおれぬ。
それくらいの激しい痛みが左胸部に走ったのだ。
これはもしや心筋梗塞?心筋梗塞ってかなり鋭い痛みが走るって言ってたもんなぁ。
悪い予感が頭をよぎる。
今日は体調も良くなって、身体からはすっかり悪寒が消え去っているものと信じ切っていた私にとって、この刺すような鋭い痛みは、これから始まる素敵な土曜日を台無しにするに十分なものだったのである。
ノソノソと痛む左胸部をかばいながらベッドから身体を起こし、何気なくそこに手を当てて愕然とした。
左胸部。ちょうど乳首から上の部分を横にまっすぐ、脇まで一直線の太い発疹が出来ていたのである。
パジャマとして着ていたTシャツの上からも、ハッキリとその手触りがわかるほどの、熱と痛みをもった太い盛り上がり。
私は思わずTシャツを脱ぎ、自分の左胸をまじまじと見た。
そこには、赤みのある太い発疹の帯が、禍々しい形をした刻印の様に左胸を走っていたのだ。
だが、起床時間は午前8時半。
あとちょっとで毎週楽しみに拝聴しているFMヨコハマの番組、Futurescapeが始まってしまう。
私は痛む胸をそのままに起床し、相変わらず収まることのない悪寒により朝食を摂ることもままならず、やっとのことで自室のPCの前に座り、2時間放送をしっかり楽しんだのだ。
そこから後はどんどん体調が急降下していき、左胸部の他に、左背部にも同様の発疹ができでしまうのである。
とにかく、この発疹部分に鋭い痛みが走り、着ているTシャツの布地が触れただけでも激しく痛むのだ。
大人しく寝て過ごそうにも、ちょっとでも寝返りを打てば激痛が走り、少しでも痛みを感じないような体勢を取ろうとすると、やったこともないようなヘンなヨガのポーズのように身体をくねらせる結果となり、その姿勢を長時間キープしていたら、今度は身体のあちこちが筋肉痛で痛みだす始末。
もう地獄だった。
発疹からの痛みと筋肉痛による痛み。ダブルパンチによりベッドに横になっていても全く眠ることが出来ない。
トイレに起きるにも顔が歪むほど痛み、その痛みゆえ、水分補給することもイヤになってしまう。抗生物質が効いているのかもしれないが、やたらと全身から汗が吹き出し、体温が上昇しているのがわかる。
喉は渇く。だた、トイレに行くのに激痛をともなうため、どうしても水分補給をためらってしまう・・・・・。
激痛と寝不足、喉の乾き、高熱。
これら苦痛の波状攻撃から耐えること三昼夜。
発疹ができていたため、内科ではなく皮膚科を受診できたのが昨日(火曜日)のことだった。
あ、ソレは帯状疱疹です
私の左胸背部を見て医師は一言。
「あ、ソレは帯状疱疹です。それにしても、よくこんなになるまで我慢してましたね。かなり辛かったでしょ?痛かったでしょ?」
帯状疱疹とは、過去に水疱瘡を経験したことのある人間なら誰でも罹患する可能性がある。
水疱瘡ウィルスが脊髄内にシレっと居座っており、疲れやストレスなどによる免疫力の低下から、またその活動を再開させるというやっかいな病気なのだ。
リモートワークで、通勤などによる身体的な疲れやストレスからは解放されていたとはいえ、やはりどこかでストレスはかかっていたのだろうか?
このウィルス、脊髄から神経細胞を通って皮膚まで到達して悪さをするようなのだ。
もう子供の頃に水疱瘡で泣くほど苦しんだのだから、それを機にどうして我が体内から退去してくれなかったのか、本当に腹立たしい。
(水疱瘡ウィルスは消えることがないそうである・・・・・チッ!!)
眠ることはおろか、日常生活にも支障をきたすほどの激しい痛みをともない、発症した部位によっては、難聴や顔面神経麻痺、角膜炎や網膜炎などの合併症まで引き起こすらしいのだ。
帯状疱疹は苦しい
今、発疹患部の痛みを和らげるための塗り薬、抗ウィルス剤、痛み止めを服用している。
寝返りを打てぬほどに激しかった発疹からの痛みは引き始め、夜はしっかり眠れるようになった。
このブログエントリーも状態が良くなったので、自室のPCから投稿している。
ずっと寝てばかりいると腰と背中が余計に痛むし、天井を見つめるだけの生活は本当に退屈だ。
こうして復調の兆しが見えてきたのは本当に嬉しい。
Mr.大黒堂のクソ寒いダジャレを、今でも面白いとは毛の先ほども思わないが、ぢで苦しんでいた恩師を気の毒には思う。
「帯状疱疹は苦しい」。
刺すような激しい痛みは、体力はおろか気力も奪っていってしまう。
健全な精神は健全な肉体に宿るのだ。
健康が一番大事!
まだ帯状疱疹に罹患していないみなさん。
かなり苦しくて痛みをともなう病気なので、どうぞお気をつけください。