伊勢神宮に行きたい!その1

山崎のような夏

「なにも足さない。なにも引かない。」

1995年辺りに放映されていた、サントリー高級ウィスキー「山崎」のCMキャッチコピーである。
歳月という時の流れと、そこからもたらされる養分の力によりその色を琥珀に変えた、一般庶民がカジュアルに口にすることなどできない至高の液体。そのはっきりとした、まるで人格をもったかのような味わいは、襟を正し、真剣に対峙しなければならないものだ。

コピーライター西野 吉也(にしむら よしなり)氏によるこの秀逸なるコピーは、まだ酒の味が全く分からない未成年だった私の心を、何故かガッツリと鷲掴みにして離さなかった。
以来私にとって、何かあるとつい思い出してしまう染みるフレーズとなっている。
この世に生を受けて半世紀以上を経過したが、まだ「山崎25年」を味わった経験は一度もない。芳醇なる薫りと味を閉じ込めるため、ひっそりと、そしてしっかりと、25年もの静かなる時を経た至高の液体に真正面から向き合えるほど、私はまだまだ人間ができてはいないと思うのだ。(倍以上生きてるのに・・・・・)

一流にして一流を知る。
三流ド底辺、ドブ泥をさらうように這いずり回って生きている私には、禅問答にも似た「山崎25年」との対話をするだけの資格も人生の経験もなく、一瓶250,000円(定価)もする、超高級品を愛飲するだけの財力も持ち合わせない。
レモンのコスチュームに身を包んだ、俳句がやたらと上手いおじさんが宣伝するサワーが一番しっくりくる。これが今の私にとっての至高なのだ。

いきなりウィスキーの話しなんぞをして、記事タイトルとの関連性のなさに困惑している読者が大多数かと思われるが、何がいいたいかというと、ズバリ、今年の夏は「なにも足さない。なにも引かない。」
ひたすら家に引きこもり、全く、結局、サッパリ、キッパリ、何もしないで真夏をやり過ごしてしまったという、ただただ後悔の念に駆られていることをいいたかったのだ。

毎年恒例の参拝

5月のゴールデンウィークから梅雨入りするまでの間に伊勢神宮に参拝することを、ここ数年の年次行事として過ごしてきた。
だが今年はどうだ?
忌々しいコロナウィルスのおかげで、伊勢神宮に参拝するどころか、ちょっとした買い物をするための外出にも怯え、家族以外の人間との接触を最低限に抑え、数少ない趣味の一つである車中泊旅行に出かけることもままならない。

故に今年はまだ伊勢神宮に参拝をしていない。
年次行事としてすっかり定着してしまったので、行けない状態となると余計に行きたいという思いが募る。
一歩境内に足を踏み入れれば、樹齢千年を超える無数の大樹が、まるで全身を包み込むように迎え入れてくれる。
歩を進めれば、静寂と清々しい冷気を帯びた空気の中、敷き詰められた砂利を踏む音と、五十鈴川のせせらぎが耳に心地よい。
天照大御神さまの持つ神聖なる磁場の中に身を置くことで、浄化されるような自分をはっきりと感じ取ることができるのである。

未だ参拝かなわない伊勢神宮への思いを募らせつつ、今まで撮影した写真をご紹介しながら、私なりの伊勢神宮参拝の思い出をお伝えしたいと思う。
今回はその1として、伊勢神宮参拝の一丁目一番地である「二見興玉神社」をご紹介する。

なにはともあれ、まずは二見興玉神社で禊(みそぎ)をするのだ

お伊勢参りといえば、いきなり内宮を参拝すればいいんじゃん?と、右も左も分からなかった頃の自分を恥じている。何でも手っ取り早く済ませれば良いというものではないのだ。

そもそも伊勢神宮とは通称で、正式名称は神宮。神宮の前に伊勢という地名を冠さないのは、神宮が全ての神社の中心であり唯一無二の存在であるからだ。
内宮にお祀りしているのはご存知、天照大御神さま。皇室の御先祖であり太陽に例えられている。外宮にお祀りしているのは豊受大御神さまで、食物をつかさどっており、天照大御神さまの食事を奉るために丹波の国から迎え入れられたとされている。
と、このくらいの知識は一般常識的に知ってはいたのだが、伊勢神宮参拝についてのいろいろなお作法、参拝順序、伊勢神宮付近のご当地グルメ情報などについては、実際に参拝する直前に色々と調査して頭に叩き込んだ非常識者である。

なにはともあれ、参拝をするとなったら身を清めなければならない。
最高神である天照大御神さまの前に立つというのに、俗世の垢のまみれた汚れた身体のままで許されるわけがない、バチが当たるというものだ。
参拝をする前に二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)のある二見浦で沐浴し、しっかりと清められた身体で伊勢神宮参拝をスタートさせるのが正しい順序なのである。(現在は二見興玉神社にお参りすることで禊が完了します。実際に私も二見浦で沐浴はしていません)

無知とは恐ろしいものである。この事実を知らなかったら、三流ド底辺で俗世の垢にまみれ汚れきった私は、顔もそむけたくなるような汚い格好で、異臭を放ちながら参拝するところであったのだ。
 

二見浦駅から二見興玉神社への通り道にある行灯。神社には夫婦岩と呼ばれる巨大な岩が有名なのだ。

 

JR参宮線の二見浦駅を下車し、駅から続く道をまっすぐ進むと「夫婦岩表参道」と書かれた行灯が現れる。
参道の途中にはところどころに案内表示の看板が立っており、徒歩で行っても車で行っても迷うことは殆どない。
「夫婦岩」と記載された案内表示板が目立っていたことから、二見興玉神社よりもそちらの方が有名なのかもしれない。

 

二見興玉神社入り口。左手には二見浦の海が見える。

 

入り口を抜けるとすぐに現れる真っ白な鳥居。

 

二見興玉神社に面している二見浦の沖合700メートルに、「夫婦岩」と呼ばれる二つの巨石が顔を出している。
正式には左側の男岩を「立岩」、右側の小岩を「根尻岩」と、個別の名称があるのだが、いつしか「夫婦岩」としてその名が知られるようになる。
御神体である「興玉神石(おきたましんせき)」は、江戸時代に起きた宝永地震により海中深く沈んでおり、当然のことながら下記写真には映ってはいない。

 

通称「夫婦岩」。左が立岩、右が根尻岩。

 

 

二見興玉神社は猿田彦大神(さるたひこおおかみ)さまをお祀りしており、開運・家内安全・交通安全にご利益があるとされている。天孫降臨の道案内を担った神様であるゆえ、人生の道行きを開いてくれたり、生きている間の無病息災をもたらしてくれるのだろう。
御祭神のお使いが蛙(帰る)というのもうなづける。
神様もダジャレがお好きなのだろう。

禊は終わった、次は外宮へ!

二見興玉神社でしっかりと身を清め、禊を終えることができた。
次は豊受大御神さまをお祀りしている外宮へと向かう。

しかし・・・・・旅の記録をブログ記事にするのは何気に疲れる。
毎年参拝しているとはいえ、細かい部分はすっかり忘れてしまっているアラフィフである。
撮影した写真を見ながら、「あ、そういえば・・・・・どうだったっけ?」などと、切れかけた電球のように途切れた記憶を呼び覚ましながらの作業は時間がかかる。

次回の更新は記憶がフレッシュな内に、早めにアップしたいと思っている。
期待せずお待ちいただきたい。





タイトルとURLをコピーしました