志村けんさんで思うこと

今こそ「だいじょぶだぁ教」が必要なのに・・・・・。

4月6日、月曜日。
気がつけば、4月も第一週が終了してしまっている。
気分的な問題で遅々として更新が進まないでいる。
お許しいただきたい。

TVやメディアのニュースでは、連日、コロナウィルスによる感染拡大や非常事態宣言の発令時期、国民への給付金の額、その支給方法などが繰り返し伝えられている。
東京都の感染者数は、とうとう100人/1日を超えてしまった。
リモートワークにより自宅で業務に当たっている身としては、もう恐ろしくて、すし詰め状態の通勤電車に乗る気がしない。その車内にどれだけの感染者が潜んでいるか分からないのである。コロナウィルスがすぐ目の前で我々を待っているのだと思うと、「人混み」というだけで恐怖の対象となり得るのだ。

出口の見えない真っ暗闇のトンネルを延々と歩かされている感があり、息苦しさと閉塞感が常に付きまとっている気持ちになるのだが、自己防衛のため、どうしても関連ニュースを聞かざるを得ない状況にある今日。
伝えられる情報により不安を煽られるが、情報を集めないことには、更に不安が膨れ上がってしまう。
不安や疑心暗鬼のマッチポンプとは、こういう状態を表すのであろう
何を見ても聞いても、今の日本国民を明るくするニュースなどどこにも落ちていないのだ。

こんな時だからこそ、志村けん氏による「だいじょうぶだぁ教」の経典を声高に唱えてもらいたいと思うのは私だけだろうか。「だいじょ~ぶだぁ~!ウェ、ウェ、ウェ!!」と、リズミカルに団扇太鼓うちわだいこを打ち鳴らし、一心不乱に唱えるだけで、破顔一笑のもと不安が吹き飛びそうな気がしてくる。
笑いにより免疫力が増大すると伝えられる今こそ、コロナウィルスに打ち勝つため、氏のような稀代の喜劇王が必要だというのに・・・・・。

そんな志村さんが亡くなってしまったのだ。
しかも、よりにもよってコロナウィルスにより命を落とされたのだ。
訃報の知らせを聞いてしばらく経つが、未だにそれを現実問題として受け入れられない。昭和という時代に生を受け、物心ついたときから、氏が繰り出す渾身の芸をTV画面越しに見つめてきたのだ。氏の往年のギャグを思い出す時、それは、記憶のしおりを確認するようなものなのだ。

聞けば、ウィルス感染の危険性により、ご遺族はご遺体と対面することも叶わなかったそうである。
病院からそのまま火葬場に直行となり、そこで志村さんは荼毘に付され、天に召されたのだそうだ。
今ごろは天国でいかりや長介さんと再会していることと思うが、氏の余りにも悲しく、寂しい別れに心が引き裂かれそうになる。

先日、志村さんの追悼番組がフジテレビで放送された。
数々の名作コントが放映され、ゲストによる思い出話を織り交ぜながら番組は進行された。
番組の最後、加藤茶さんの弔事が読み上げられたのだが、読み上げる加藤さんのバックに、ヒトミばあさんの扮装をした志村さんのポートレートが一緒に映し出された時、思わず噴き出してしまった。
悲しくて悲しくて仕方なかったのだが、どうしてもヒトミばあさんのコントの場面を思い出してしまい、泣き笑いになってしまったのだ。

東村山音頭、ヒゲダンス、変なおじさん、バカ殿様、ヒトミばあさん、柄本明さんとの芸者コント・・・・・。
我がDNAに刷り込まれし志村さんの芸がもう見られない。
私を含めた日本国民の悲しさはいかばかりだろうか。

まずはできることを

正直、精神的に疲れている。
政府や自治体の要請に従い、週末は不要不急の外出を控えている(買い物くらいしか本当に出掛けていない)が、どうにもこうにも外の空気を吸いたくなったときには、人気の無いところをピンポイントで狙い、小一時間ほど裏通りをウォーキングしてなんとか気分転換に努めている。
こんな週末を早3週間ほど続けているのだ。
ウォーキングをしていても、いつも同じコースになってしまうので、いい加減飽きてしまい、戸外に出てはいるものの新鮮さの欠片も感じられない。

明日には政府から非常事態宣言が発令される見込みである。
東京都はもちろんのこと、私が住んでいる神奈川県も例外なく発令されると予想される。先程見たTVのニュースで、最後の晩餐ならぬ、ただの飲み会に興じている新橋のサラリーマンの姿を見て、緊張感の無さっぷりに目頭が熱くなってしまった。

感染して、ウィルスを家庭に持ち込んでも平気なのだろうか?
インタビューに答えた中高年サラリーマンの諸君、君たちの家には年老いた親御さんや、幼い子供たちはいないのだろうか?
ただでさえハイ・リスク極まりない通勤電車を利用して帰宅するのに、なおかつ人の密集する酒場で、結婚式前夜の新郎が楽しむバチェラー・パーティーさながらの宴を楽しむ感覚が理解できない。

コロナウィルスが沈静化したら、いくらだって外で飲んで騒げるではないか。
しばらくは晩酌で、食事とともにゆっくりとアルコールを楽しむことはできないのか。

今は我慢なのだ。
確かに暗いニュースばかりで先が全く読めない。
酒でも飲みながら、パァ~っと陽気に発散させたい気持ちは痛いほど理解できる。
だが、あえての我慢なのだ。
このコロナショックを無事に乗り越えた時、きっと、志村さんは笑いながら我々に向かっていうはずである。
全てが終わったとき、全国民が笑えるようなオチとして、きっとこういうはずである。

「ダッフンだ!」と。

志村さんを偲びつつ、今日も静かに晩酌を楽しむ。
もちろん、TV画面には「ヒトミばあさん」のコントが流れているのはいうまでもない。

志村けんさん、本当に長い間、素晴らしい笑いを届けてくださりありがとうございました。
ゆっくりとお休みください。


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