遠いあの日、そういえば成人式だった

言われなくとも、今日は令和初の「成人の日」

窓から注ぐ、まるでおばあちゃんの笑顔のような穏やで暖かい朝日の中、天井に向かい思いきり背伸びをしつつ放屁をカマし、両手一杯に洗濯物を抱えた妻からの鮮烈なタイキックを喰らった今日は「成人の日」。
TVのニュースでは、今日122万人の若者が新成人となった事を伝えていた。

そうだ、今日は令和初の「成人の日」なのだ。

自分が成人を迎えて以来、「成人の日」は 年明けの仕事で疲れ切った身体を休める、ただの普通の連休と成り下がってしまった。
これからの時代を担う若者たちよ、すまぬ。
君たちを祝う気持ちは、今はコレっぽっちも持ち合わせていない。
仕事初めから1週間、まだほんの少し余力を残しつつある肉体に、更なるモンスター・エナジーを注入すべく与えられた休憩時間という位置づけ以外、その意味を持たなくなってしまったのだ。

満20歳を迎える男女がフォーマルな装いで一同に集い、本籍地を統括する偉い人の話をガン無視する会に参加するのが「成人式」だ。
大学進学や就職で地元を離れた友人たちが、着慣れないスーツや振り袖に身を包み、つかの間の再会を果たす。
同窓会と呼ぶにはインターバルが短すぎるが、近況を報告し合うには十分過ぎる期間を経て再会を果たすのだ。
どうやったって市長の話なんて聞く耳など持たないのである。
カルロス・ゴーンの会見だって聞きやしないだろう。

野郎の顔など眼中になかったが、都会に出て、やたらと垢抜けて綺麗になった女子達には目を奪われた。
たった数年会わなかっただけなのに、丸々としてニキビの多かった聖子ちゃんカットの田舎娘が、そこそこ綺麗になり華やいだ笑顔で談笑していたのだ。
時の流れより何より、化粧のテクニックというのはこれほどまでに人を別人にさせるのかと、彼女はいなかったがチェリーを捧げたばかりの青い私には驚異でしかなかった。
あの娘達、今なら立派な「詐欺メイクYoutuber」で一発当てられただろうと目を細める・・・・・。

私が本籍を置く神奈川県のクソ田舎では、実現するための予算もアイデアもエージェントのツテもなかったのだろうが、私の妻が参加した成人式には、とあるアーティストがゲスト出演したそうである。

彼らがゲスト出演した当時、一世を風靡した彼らの認知度と人気度はすっかり地の底に落ちてしまった後であり、式に参加したほとんどの新成人たちが顔面蒼白になるほど、そのパフォーマンスに興味を示すものが居なかったそうだ。

「負けないこと・投げ出さないこと・逃げ出さないこと・信じ抜くこと、ダメになりそうな時、それが一番大事!!」
新成人たちへのエールとして朗々と歌い上げ、最後まで投げ出さずに熱いパフォーマンスを繰り広げた彼らは今どうしているのだろう?
聞けば、1996年には解散してしまったらしい。

そんな彼らの思い出を忘れないこと、「それが大事」。

遠いあの日々

私が成人した昭和のあの頃、世の中はどのように激動であったのかと思い返してみる。
頭の中では、加古隆氏の「パリは燃えているか」がリフレインしているのは言うまでもない。

中国では天安門で学生デモが発生し、列をなす戦車の前に立ちはだかる学生が非業の死を遂げる。
戦車に一人立ち向かう学生の写真を見て、バブル経済に湧いた平和ボケの日本とのコントラストに恐怖した。

それでもバブルは弾けに弾け、財テクブームと称したマネー・ゲームが過熱の一途をたどる中でNTT株が上場を果たし、安田火災はゴッホのひまわりを53億円という信じられない金額で落札する。
このままこんな乱痴気騒ぎのような景気が続くわけがないと、バカな私でも薄々感づくほどの狂乱ぶりだった。
あの狂気は、薄氷の上にそびえ立つ砂の城だったのだ。
いつ破綻してもおかしくないことなど、当時の日本人なら誰でも感づいていただろう。

新発売されたアサヒ・スーパー・ドライはやたらと尖った味がしていた。
口に含んだ途端、キン!とした鋭さが口いっぱいに広がったが、私は未だにこの味が好きになれない。

国鉄が分割民営化され、JR(Japan Ralilways)という聞き慣れない名前に変わると、中嶋悟が日本人初のF1ドライバーとして鮮烈デビューを飾った。

熱病にも似た一大ブームを巻き起こした「夕焼けニャンニャン」がその使命を終え、デクレッシェンドしていくように番組が終了、その後すぐにおニャン子クラブも解散。
私の青春の1ページを狂おしく彩った会員番号36の笑顔は、その後タイ人に酷似したお笑い芸人に独占された。

強烈な鼻声で瀬川瑛子の「命くれない」が音楽チャートを席巻すると、吉幾三はすごすごと「雪国」へ帰っていった。
中森明菜は「タンゴノアール」を歌い終えると、「恋の難破船」に乗り髪を「ブロンド」に染めた。
光GENJIはキラ星のごとく現れ、息つく間もなくローラースケートに乗ってスターダムにのし上がる。
彼らのデビュー曲をプロデュースしたのは飛鳥涼だ。色々合った彼も、今はようやくフリーダムを手に入れているだろう。

昭和の音楽シーンは、まだまだ演歌の心意気とコブシが健在だったのである。

加古隆クァルテット『パリは燃えているか [Takashi Kako Quartet / Is Paris Burning]』

TakashiKakoOfficial より

何者にもなれなず令和を迎えた

成人してから30有余年が経過した。
時代は代わり、昭和から平成、そして令和へと移った。
何者にかなるべく努力はしていたつもりだが、何になりたいのか判然とせず、何の疑問も目的もなく、ただただ仕事をして毎日を過ごしてしまったような気がする。

成人した頃、時間は無限にあると思っていた。老いや衰えは自分には関係が無いと思っていた。
何もかも、望むものは少しだけ努力すればすぐ手が届くような気になっていた。
やりたい事や経験したい事が次から次へと湧いて出てきては消えていく。
今考えてみても、何かを成すために懸命に生きた記憶があまり無い。
時間という、二度と取り戻せないものを贅沢に浪費してしまったのだ。

人生二回目の成人式もとっくに迎えてしまった。
今は、「人生のやりたいことリスト」の項目が目減りする一方だ。
「人生やり残したリスト」に改名せねばなるまい。

横浜で荒れ狂う新成人たちの姿をTVのニュース画面から眺めつつ、思いっきりな嫌悪感はあるものの、溢れ出る若さに嫉妬してしまう自分も確かにいるのである。

もうちょっと頑張ってみよう。
住宅ローンを完済するだけが人生の目標であったとしたら、なんと悲しい人生なのか・・・・・。
妻とゆっくりお茶を飲みながら、Dlifeを楽しむ余暇は残しておきたいのである。

人生の黄昏時、悔い無く笑いながら生きる。
ゆっくりと過ごす。

「これが一番大事」。
あのアーティストは教えてくれていたのである。


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