思考停止の果てにクリエイティビティは発揮できるのか?

生産性の低下が叫ばれているが

「日本のサラリーマンは諸外国に比べ著しく生産性が低い。」

ただでさえ生産性低下に歯止めが効かないアラフィフに引導を渡すような、こんな断定的で恐ろしいキャプションがニュースのヘッドラインを飾るようになって久しい。
外国人の仕事ぶりを確認したことなどないが、それほどまでに言うのなら、その生産性レベルの高さを実際にこの目で確かめてみたい。
同じ人間なのに、何がどう違うのだろうか?
そもそも、生産性を明確に定義した指標がどこに存在するのだろうか?

叫ばれる生産性の低下と呼応するかどうか不明だが、最近、物事を自分の頭でしっかり考えることが少なくなってきたような気がしてならない。

業務を遂行する上で遭遇する様々な課題や問題。
当然、それらに対するソリューションは今までの経験や知見がベースとなり、それらをブラッシュアップし、熟考を重ねてようやく捻り出されるのである。
解決要素を組み合わせ、考え、それらをまとめ上げることこそが「仕事」となっていたのである。
昭和時代に新人サラリーマンであった私は、自分で考える以外にソリューションを生み出す術を持ち合わせていなかったのだ。

しかし、インターネットの絶対的な利便性が普及するにつれ、問題や課題に対するソリューションがいとも簡単に手に入るようになった。
「Google先生」はいつ何時なんどき、どんな質問にもイヤな顔一つせず答えてくれるのだ。
しかも一瞬で。

考えられなくなってきている

課題や問題に対し、ネットを使えば簡単にソリューションが見つかるようになった。
「Google検索」することで、求める「解」がすぐに画面に表示されるようになったのだ。
恥ずかしながら、「仕事をする=ネットで解決策を検索する」に成り下がってしまっている自分がいる。
ネットやPCに頼りすぎている弊害か、最近は漢字がめっきり書けなくなった。
読むことはできるのに・・・・・。

技術の進歩に逆比例するかの如く、「仕事」に対するアウトプットもネットで調べた結果だけを「成果」として提示するだけになってしまっている。
実現が困難な顧客要求に対し、現状理解・分析、課題の検討、解決要素の洗い出しと再構築、ソリューションの提案という、ごくごく当たり前にこなしてきた一連のプロセスが遂行出来なくなってきてしまっているのだ。

RPAも思考停止を増長させる一因か?

巷で騒がれているRPA(Robotic Process Automation)で事務手続きを自動化などさせたら、煩雑で面倒な判断を人間からどんどん奪っていくことになる。
機械はウソをつかないしミスもしない。だから何も考えず機械に手続きを丸投げするようになる。
思考は停止し、PCの承認ボタンを押すことが管理職の「仕事」となってしまう日も近いのではないだろうか?

思考停止状態なのに、クリエイティブなことなんてできるのか?

より利便性の高い生活を手に入れることはできるだろうし、テクノロジーの進化を享受すること自体に何の問題もない。だが、それに伴う弊害については全く何の議論・考慮もされていないのが現状ではないだろうか?
自動化によりもたらされた時間を使い、はたして人間はどんなクリエイティブな仕事をしなくてはならないのだろうか。

「明日から雑務はロボにやらせます。あなたは今よりクリエイティブな仕事をしてください」
と下命されたとして、私の脳はすっかり退化してアクティブにはなっていないのだ。
結果はアボーティブとなるだろう。

近々、第五世代移動通信システムである「5G」も本格運用が始まろうとしている。
どう対応してよいのやらサッパリわからない、デジタル・トランスフォーメーションも活況を迎えつつある。
私たちの仕事がどのように様変わりしていくのか、残り少ないサラリーマン人生で答えは見つかるのだろうか?
不安を抱えつつ対峙しなければならない。

ちなみに、このブログ執筆が自分にとっては頭を最大限に使っている作業である。
これが無くなったら確実にボケそうだ。
なので、脳がアクティブであるうちは続けたいと思っている。

書くことで少しは脳が活性化されていると信じているからだ。

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