やっときた緊急事態宣言解除
5月14日に39県の緊急事態宣言が解除され、初めての週末が終わった。
本当に、耐え難きを耐えきった一ヶ月半だったと思う。
(私の住んでいる神奈川は未だ宣言の解除はされていないが)
一部アナーキーで刹那的な輩も多数存在したようだが、罰則や強制力のない「お願いベース」での外出自粛に、国民は本当によく耐え忍んだと思うのだ。
途中、過剰なストレスによる怒りの感情を抑え込むことができず、正義マンやら自粛警察なる謎の自警集団が突然発生したりもしたが、特に大きな暴動も起きずに宣言が解除されるに至ったのは、ひとえに民度の高さゆえだと感心しきりなのである。
日本人は、やはりやれば出来るのだ。
「自粛をするから金をくれ!」と、国民が安達祐実がごとく血の叫びを上げ、それが給付金という現金として受け取れるようになるには、まだ多少の時間がかかりそうである。だが、支給されたあかつきには、多少なりとも一息つけそうな心持ちではなかろうか。少しの急場はしのげそうである。
無論、私に支給された給付金は私の手元に届くことなどなく、妻の、妻の采配による、妻の思惑のための経済活動資金に回されるのだ。それを我が家では「住宅ローン繰り上げ返済」と呼んでいる。
「家事負担してるんだから小遣いをくれ!」
日本のホラー映画のような存在
コロナウィルスは本当に忌むべき存在だ。
半世紀を過ぎた我が人生において、バブルの崩壊、湾岸戦争、アメリカ同時多発テロ、東日本大震災以上の強烈なインパクトを持って襲いかかってきた怪物だ。
去年の今ごろ、平成から令和に移りゆくその時に、このような未曾有の惨事を誰が予想できたであろうか。月刊「ムー」でさえ、そのような予言記事は掲載されてはいなかったはずだ。
無味無臭、人間が持ちうるあらゆるセンサーに全く反応することがなく(ウィルスはどんな種類のものでも皆そうだが)、気がついたら体内に入り込んでくるサイレントな恐怖。エボラ出血熱ほどの高い致死率はないものの、免疫力が弱い人間の命を容赦なく簡単に奪っていく。
このウィルスに、日本のホラー映画さながらの、陰湿で仄暗い恐怖を覚えた人は少なくあるまい。アメリカのホラー映画のように、突然ドカン!と襲いかかってくるようなジェットコースター的な恐怖では絶対にない。
気がついたら後ろにジットリと張り付いているような、誰も居るはずもない密室の中で、音も立てずに確実に背後に居るような、そんな恐怖を感じるのだ。
その恐怖に飲み込まれず、自らも罹患することなど絶対にないよう、新しい生活様式に則りしっかりと感染予防に努めなくてはならない。
まだまだ家のローンもある。やり残したこともある。行きたいところも沢山ある。食べてみたい絶品グルメの数々もある。読みたい本もあれば、聴きたい音楽や観たい演劇もあるのだ。人生やりたいことリストの項目は少なくなってきているが、それでもゼロではない。
コロナに感染し、気が付かないうちにコロっと天に召されるのだけは断固拒否しなくてはならない。
コロナウィルスによってもたらされたもの
ワクチンや特効薬の誕生を心待ちにしている現在、今はこのウィルスと共存し、いかに感染することなく日々の生活を営むかの指針が発表されている。
いわゆる「新しい生活様式」というやつだ。
簡単に言ってしまえば三密を避け、衛生管理を徹底せよとのことである。
外出自粛が段階的に緩和されながらも、緊急事態宣言下での生活様式とあまり代わり映えのしないものだ。
「リモートワーク」も新しい生活様式の一要素として推奨されているのだが、概念だけは誰もが知っているが、インフラ整備が滞っていたために市民権を得るまでに至らなかった働き方だ。だが、今回の騒動で導入に踏み切った企業が一気に増えている。
これは画期的なことであると個人的には思っている。
私の会社でも「働き方改革」のスローガンの下、残業時間の短縮やサテライトオフィスの利用などが提案されてきたが、リモートワークだけはなかなか定着しなかったのだ。
顧客へのシステム導入を生業とする会社であるにもかからず、肝心の自社のIT化が立ち遅れているというのは何とも笑えない話だ。
未だ対面式での会議を重要事項と捉え、書類に上長が押印をすることで承認とする業務のやり方がまかり通っている。それを今まで疑問にも思わず、変えようとする姿勢すらも見せていなかった。
人間は変化を嫌う生き物である。
細かい仕様変更を加えながらも、従来以前のやり方で業務を推し進めていたことの弊害が、今回のコロナ騒動ではっきりと露呈したのだ。
実際にリモートワーク、電子承認のシステムを業務に取り入れたところ、驚くほどに効率が上がり事務手続きの煩雑さが軽減された。上長からの押印をもらうため、外出している上長の帰社を待った挙げ句に残業などという、これほど愚かでバカバカしい時間の使い方がようやく見直されたのだ。
リモートワーク、電子承認が業務遂行のための有力で有益なツールとしてようやく認められたのだ。
だったらもう出社は必要最低限に止め、本社機能もわざわざ東京の一等地にあるビルに設置しなくても良くはないだろうか。だいいち、東京に本社を構えるだけでも相当な経費がかかっているはずだ。地方都市にその機能を移転するだけで、かなりの経費圧縮に貢献することは明白である。
今回のコロナ騒動によりもたらされたものは害悪ばかりではなかったと思う。
今まで疑問を持たなかった働き方へのアンチテーゼだ。
リモートワークが可能なホワイトカラーの企業は、躊躇することなく導入すべきである。それにより地獄の苦しみを伴う通勤電車から逃れられ、無駄な会議や承認プロセスを減らすことができ、もっともっと豊かな精神状態で業務に臨めると思うのだ。
何より、必要以上に嫌いな上司・同僚と顔を合わせる必要がなくなるのが一番デカいと思う。きっと向こうも同じことを思っているだろうが、それはお互い様だ。
コロナが完全に収束後、どのような変化が私の会社に起こっているのか。はたまた何も変わらず出社を促されるのか、はっきりいってまだ分からない。
神奈川県と東京の緊急事態宣言が解除されるまで固唾を飲んで待つことにしよう。
それにしても通勤電車に乗りたくないし、無駄な会議はイヤだ。
部下から提出される書類に判子を押しまくる作業も本当に苦痛だ。
ぶっちゃけ、このまま在宅勤務が永遠に続いてくれないかと、密かに、はっきりと願っている今日このごろなのである。