イベント飯がそろそろ限界

まだ体調が戻らない

世界規模の拡大を見せるコロナウィルスの脅威に怯えつつ、相変わらず復調の兆しを見せぬ我が体調に、若干の焦りと戦慄を感じながら、気がつけば今日は令和初の「節分の日」である。
大丈夫、大丈夫、私はここ何年も海外旅行に行っていないし、普段は職場と家を往復する単調な毎日だ。
コロナのコの字も体内に入っていないはずである。

だいぶ復活してきたとは言え、まだ完全には止まらぬ咳と痰。
カラカラに乾ききった喉から出る声は、既にブライアン・アダムスばりの仕上がりだ。
寝食を共にしている妻が罹患するのも時間の問題である。
あぁ、まさに夫婦二人揃って「We are in Heaven」。

これで妻に風邪がうつり、熱やら咳やらが出始め、パートなんぞを休まれた日のことを考えると今から恐ろしい。
先日もお知らせしたが、妻はYoshikiばりのツーバス・ドラミングの達人だ。
一緒にベッドに入ろうものなら、「お前のせいで風邪で苦しむことになったんだ!パートも家事も休めないのにぃ!キイイイイイイイイイ~!」と、荒れ狂うばかりのツーバス・キックでベッドの外に蹴り飛ばされるか、コタツに入っている私の側頭部めがけて、吉川晃司ばりのシンバル・キックのどちらかが炸裂するハメになる。
妻はX-Japanも吉川晃司もほとんど聴かないのに、ライブで最高潮に盛り上がるステージ・アクションだけは熟知しているのだ。

今年から恵方巻を止めた

唐突だが、我が家は今年から恵方巻を食べるのを止めた。

そもそも、恵方巻なるものが食卓に登場するようになったのは、2000年辺りからではないだろうか?
少なくとも私の住む神奈川では、20世紀中にそのような食文化があった事すら知らなかったのだ。
最初に「節分の日には恵方巻を食べましょう!」なるキャッチフレーズを聞いた時、「はて、恵方巻とはなんぞや?」と、その超バカでかく、デラックスで黒光りした巻き寿司のルックスに度肝を抜かれたものだった。

関西ではメジャーな存在だった恵方巻だが、関東地方にその魅力を伝えたのは「小僧寿し」だと言われている。
1980年代後半にドラえもんとタイアップした企画でCMを打ち、「縁起巻」なる商品名で発売を開始したのが、今日の恵方巻のスタートとなっているらしい。
そこからコンビニチェーンの雄、セブンイレブンが恵方巻という商品名で全国展開を始め、現在に至ったようだ。

やはり、全国に販売網を持つコンビニチェーンの威力は絶大と言わざるを得ない。
あっという間に、全国にその存在と食文化を定着させてしまったからだ。

しかし・・・・・。
その年々で異なる恵方を向き、 自分の口の口径をも凌ぐ太さの太巻きを、一言も発すること無く一心不乱に一気食いする。食べている最中は私語厳禁で、ただひたすら口の中に太巻きをネジ込み、食べることに集中する!
我が家ではここ数年、このような食べ方で恵方巻を食していたのである。
(これが世に伝播される正式な作法なのかどうかは定かではないが・・・・・)

しかし、これがどうにも味気ない。

食事中一切の私語を許さなかった、非常に躾に厳しい祖父と食事を共にした時など、子供ながらに非常に緊張して味を楽しむ余裕が無かったことを思い出す。
やはり食卓には、賑やかさと楽しい会話、笑顔などが必要だと思うのだ。
それらがスパイスとなり、供された食事が何倍にも、何十倍にも美味しくなるのは言うまでもない。

数年前、食べている最中にどうしても我慢ができず豪快にクシャミをカマしてしまった事がある。
黙して一気食いする事が出来なくなってしまったとあって、「これで今年のご利益を授かることが出来なくなってしまったあああああ!」と、何か大切な儀式をブチ壊してしまった塊根の念に苛まれ、そこから先は一気にテンションが下がってしまい、最後は砂を噛むような味しかしなくなってしまったのだ。

色々と書いたが、恵方巻はシーズン・プライスでかなり高額であり、それが我が家の家計を圧迫するというのが、今年から食べなくなった最大の理由なのである。

今年から助六寿司が代打として食卓に登場したのは、もちろん内緒である。

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