特別定額給付金が支給される

肌で感じる季節の移ろい

今日は暑かった。

6月11日に梅雨入りが宣言されたが、それを待っていたかのように、以降は連日の雨・雨・雨である。
コロナ禍により外出自粛を余儀なくされ、新緑芽吹く最高の季節をステイホームでやり過ごし、ようやく緊急事態宣言が解除となり、今だ!、と思った矢先の梅雨入りである。

先週後半は誰に言われなくとも、ステイホームでジッと我慢せざるを得なかった。
「やっと少しは自由に外出できると思ったのに、今度は雨かよ・・・・・」。
窓から映る四角く切り取られた景色を眺めるだけでは、四季折々の風情を感じたり、楽しんだりはできないのである。肌の上を滑る風の爽やかさと心地よさ、大気に染み込んだ湿気、目の前を真っ白な世界に変えてしまうほどの強い日差し。その時々で表情を変える季節の移ろいは、外出して初めて味わえるというものだ。軟禁生活でのストレスが頂点に達し、そろそろ限界!と、恨めしく空を見上げること4日間。先のような独り言とともに、舌打ちがどうしても出てしまう。
コロナと梅雨のラッシュ攻撃に、我が豆腐メンタルも我慢の限界が来ていたのだ。

6月15日の今日、神奈川県(私の居住地)は奇跡的に雨が降ることなく朝を迎えた。
どんよりと曇った空は今にも泣き出しそうだったし、肌にまとわりつくようなネットリとした大気中の湿気も不快だった。なにより蒸し暑いことこの上なく、いくら太陽が顔を出していなくとも、外に出ようものなら一気に汗が噴き出し、ジワジワと体力を奪われる。それくらい、今日は典型的な梅雨の合間の曇り空だったのだ。

日課となっているウォーキングの禁断症状が出ていたのと、家から一歩でもいいから外に出たいという欲求が重なり、不快指数全開の戸外に出ることを決心したのは午前9時30分。
今日は今年一番の真夏日になり、外気温は30度を優に超すであろうと各局のモーニングショーが伝えていたが、もうそんなものはどうでもよかった。
真っ赤なTシャツに黒い短パン。首からはカーディーラーからもらった黄色に染め上げられたタオルを首にかけ、右手には愛用のフィットネス用トラッカー(Fitbit Charge3)をはめ、ウォーキングシューズの紐をキュッと締め上げる。
私のいつものウォーキングスタイルだ。この出で立ちで一回買い物に出かけたことがあるが、余りにもスーパーに集う買い物客とのコーディネートの違いに、心の底から後悔したことがある。メタボをこじらせた私に、真っ赤なTシャツは唐辛子よりも目に染みるコーディネートだったのだ。まるで似合っていない。
まだ新しいTシャツだったので捨てるに忍びなく、仕方なくウォーキングで着用するようにしているのだ。

玄関を出て一歩外に足を踏み出した途端、ムワっという熱気を持った湿った空気に全身が包まれた。
まだ数歩歩き出しただけだというのに、一気に体温が上がり毛穴が開きだす。
角を2つ曲がって大通りに出るころには、もう額からは大粒の汗が流れ落ちてきていた。
「やっぱ夕方にしとくんだったかなぁ。でも、またいつ降り出すかわからないからなぁ・・・・・」。
首にかけたタオルを掴み、何度か額から流れる汗を拭きつつ、早くも後悔の念が首をもたげてきた。
まだ中天には程遠い位置にいるであろう太陽は、雲に隠れながらも、強烈な蒸し暑さを風にまとわせ私の全身を包んだのだ。

いつものメンバーが居ない

フウフウと鼻息も荒く、周りに人が居ないのを確認してからマスクを外す。
鼻と口の周りに新鮮で冷たい空気が触れ、一気に呼吸がラクになる。
ウォーキングをしながらのマスク装着は本当に辛い。梅雨になり蒸し暑くなってきたことも手伝い、顔面温度は耐えきれないほどになっていた。
たっぷりと湿気を含んだ空気のカーテンをこじ開けるように、一歩ずつ足を前に踏み出していく。いつもは爽やかなウォーキングコースも、今日はとにかく歩きにくくて疲れる。
30分を超えたところで、いつも休憩をする中規模スーパーのベンチにたどり着いた。

ベンチに腰を下ろし、自販機で買ったミネラルウォーターを一口飲んだ。
ふと周りを見渡すと、いつものメンバーが居ない。

私が童顔で話しかけやすいのかどうか分からないが、やたらとご年配の男女から声を掛けられる。しかも、何の脈絡もなくいきなり声をかけられるのだ。
「なぁ、あんちゃん」とか、「ねぇ、お兄さん」などと最初に言われたのなら、自分に対して何か話しかけてくれているのだなと理解できるが、いきなりは困る。
誰に話しかけているのか、思わず周りを確認したことが複数回あった。

「そう言えば、近所の○○(ドラッグストア)ではマスクが売ってたっていうけど、急いで行ったって一つもありゃしねぇ。兄ちゃんのそのマスクはどこで買ったんだ?」と、真っ昼間から、アルコール度数9%の酎ハイ片手に話しかけてくるストロング・ガイがいる。
「給付金っていつになったら振り込まれるのかしらねぇ、お兄さんはもうもらった?」と、買い物袋もなにも持たずベンチに座り続け、給付金未収アピールを毎回してくるニコニコ顔のマダムもいる。
私のウォーキングする時間帯がほぼ決まっているので、休憩を取るスーパーに集う人生の諸先輩方も、ほぼ同じ時間に決まったようにベンチで佇んでいたりするのだ。

その愛すべき諸先輩方の姿が今日は見えなかった。
2脚用意されているベンチには、私しか座っている者は居なかったのだ。
いつもの見慣れた顔を目にすることができないと、なぜか不安になってしまう。皆さん結構なご高齢の方々が集まっていたのだ、心配するなという方が無理だ。
真夏のように急上昇した気温に具合が悪くなってしまったのか、はたまた、事故や事件に巻き込まれてしまったのではなかろうかと、名も知らぬご老人たちの安否が気になってしまう。

しばらくベンチで休んでいたが、一向にベンチを埋める人が現れることはなかった。
自宅でのリモートワーク開始時間も迫っている。
私は飲み終えたペットボトルをゴミ箱に放り込むと、誰も座る人間が居なくなったベンチに見送られながら帰路へとついたのだった。

あ、今日は15日じゃん!

「ジイちゃん、バアちゃんたち今日はどうしたのかなぁ」。
後ろ髪を引かれるような思いで来た道を折り返す。空気は相変わらず湿っていて、気温は更に上がっている。人通りがないことを確認すると、私はマスクを外して短パンのポケットにねじ込んだ。
もう我慢できない、これ以上マスクは着けていられない。誰かとすれ違う寸前で再び装着することにした。

いよいよウォーキングの復路も終盤にさしかかろうというとき、いつも利用している銀行が目に入った。
私は自宅から歩いてすぐのところにある信用金庫をメインバンクにしている。社会人になってから口座を開いたので、既に30年以上のお付き合いだ。
近くに都市銀行もあるのだが、生涯初の給料を振り込まれた銀行から離れることができず、今日現在まで利用させてもらっている。これだけ長く口座を開設しているのだから、内緒で金利を優遇してはくれないだろうか。やっぱり無理か。最近は不景気の影響なのだろう、箱ティッシュはおろかポケットティッシュさえもらった記憶がない。

その信用金庫に黒山の人だかりが出来ていたのである。
ATM待ちなのだろうか、店外まで長蛇の列ができ、とにかく尋常ではない数の人間が並んでいたのである。
今まで、これほどまでに我がメインバンクが混み合っている現場に遭遇したことがなく、まさか、なんらかの理由で取り付け騒ぎが起きてるんじゃなかろうかと、思わず足を止めてガン見してしまった。

よくよく見れば、並んでいる人たちの中に、スーパーで知り合ったストロング・ガイとニコニコ・マダムを見つけた。マスクを着けておりその顔は見えないが、その出で立ちはスーパーで出会う時と毎回変わらないコーディネイトである。見間違うはずがない。
密になることを恐れ、しっかりとソーシャル・ティスタンスを取っているが故に、列が異様に長かったのだ。
そして、その列に並んでいるのはご年配の方たちばかりだった。

・・・・・。
そうだ、今日は偶数月の15日。年金支給の日だったのだ。
列をなして人生の諸先輩方が銀行に並んでいるのも理解できた。
今までこの時間は東京に通勤しており、年金を下ろすため、これだけの年配者が銀行に殺到する場面を知らなかっただけなのだ。
2ヶ月に一度のこの日、銀行は祭りの如き賑わいを見せていたのである。
なるほど。

ウォーキングを終え帰宅すると、母親の姿がなかった。
どこかへ出かけているのだろうか?ウォーキングシューズの紐を緩め、玄関先に腰を下ろし、タオルで吹き出す汗をぬぐう。開け放したドアから少しだけ涼しい風が吹き込んでくる。そこへ出かけていた母親が帰宅してきた。

「あら五郎、早かったわね。お母さん、年金おろしてきたの」。
さきほどの信用金庫、どうやら母親も列に並んでいたらしい。
姿が見えなかったのは、既に店内に入りATMを操作していた時だったのだろう。
それにしても母親は上機嫌だった。年金が入ったのだから嬉しいのかもしれないが、いつもと様子が違っている。

「こないだ申請した給付金、入ってたわよぉ!もう助かっちゃうわ」。
こぼれるような笑顔で母は答えた。私の住んでいる地域でも、ようやく給付金の振り込みが開始されたようだったのだ。

そそくさと着替えを済ませ仕事を開始しようとした時、メールの着信があった。
会社のPCではない、個人使用のスマホにメールが着信したのだ。
何かと思い確認すると、先日申請した給付金が私の口座に振り込まれたことを知らせるメールだった。

私は仕事をソッコーで中断し、椅子から立ち上がると一目散に玄関に向かった。
仕事を放っぽり出してどこへ行くって?
決まっているではないか、預金通帳を片手に、黒山の人だかりが出来ているあの信用金庫だ。この通帳に記帳し、この目で入金を確認するまでは安心できないのである。
あぁ・・・・・この給付金を自由に使いたいと思う間もなく、きっとパートから帰ってきた途端、妻にこの通帳を召し上げられるだろう。

明日、給付金は住宅ローン返済へ姿を変える。
まるでドナドナのように。

さらば給付金、我が10万円。
ほんの数時間、短い恋心は雨のように露と消えるのである。


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