伊勢神宮に行きたい!その3

レトロな駅舎「近鉄・宇治山田駅」

内宮に向かうには、まず近鉄線・宇治山田駅で下車しなくてはならない。

そこから伊勢神宮(内宮)行きの市内循環バスに乗るのだが、宇治山田駅の駅舎が、これがまた古き良き大正レトロっぽいデザインで、なかなかの雰囲気を醸し出しているのだ。東京駅ほどの重厚さと壮大さはないものの、「ここが内宮の正面玄関である!」との静かな主張が、この佇まいとデザインから聞こえてきそうではないか。
風格漂う壁面タイル張りの駅舎を背にすると、いよいよ内宮参拝に来たのだという思いが強まってくる。嫌が上にでもテンションは上がる。

大正レトロ感ただよう駅舎。ここから市内循環バスに乗る。

 

内宮へいざ到着!

市内循環バスを降りしばらく道なりに歩けば、いよいよ内宮に到着する。

日本最高神である天照大御神をお祀りしている場所であるからして、荘厳にして神聖。お宮に続く道や、そこを歩く人の流れもキッチリと滞ることなく誘導され、一糸乱れぬような参拝への静謐なる流れが出来上がっているのだろうと思っていたのだが・・・・・。

んなことはない。

とにかく人で溢れかえっていたのである。(コロナ禍の現在はどのような状況になっているかは分からないが)
内宮の目の前には、あの超有名な「おかげ横丁」が控えているのである。食とお土産物のテーマパークとしてその名を轟かせているスポットであるからして、そこからなだれ込んで来る参拝客の数たるや尋常ではなかった。
通勤ラッシュ時のターミナル駅の改札口のような混雑ぶり。
(おかげ横丁については、また次回レポートしようと思っている)

考えてみれば、江戸時代における伊勢神宮とは、まさに「神と祈りと参拝のテーマパーク」だったのだ。
死ぬまでに一度はお伊勢さんにお参りに行きたいと願う庶民が星の数ほど居たという。
浦安に広大な土地を持つ、あの夢の国と同じような高揚感を与えてくれる場所だったのだろう。

今も昔も日本人の心を掴んで離さない場所なのである。

 

式年遷宮で建て替えられたばかりの大鳥居。

 

宇治橋を渡り五十鈴川で身を清める

伊勢神宮参拝にあたり、まずは二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)で禊を行ったが、内宮に到着したら、宇治橋を渡り五十鈴川で再びしっかりと身を清める。
参道の途中に手水舎は設置されているのだが、せっかく清らかな五十鈴川の流れを手にすることができるのである。直に手を触れ、その涼やかで清らかな水を感じずに歩を進めてしまうのはもったいない。

参道からはちょっと離れてしまうが、是非立ち寄ってみていただきたい。
川面から吹き渡る風がとても爽やかなのである。

 

 

瀧祭神(たきまつりのかみ)に参りおとりつぎを願う

五十鈴川でしっかりを身を清めたら、一刻も早く天照大御神様の元へ!といきたいところなのだが、そうは行かない。慌ててはいけないのである。
身を清めたその次は、「瀧祭神(たきまつりのかみ)」をお参りする。
瀧祭神様は別名「おとりつぎさん」とも呼ばれており、天照大御神様に願い事を取り次いでくださる神様なのだ。
ここでしっかりと挨拶をしないで、いきなり正宮にお参りするのは大変失礼なのである。

いかに半沢直樹であったとしても、いきなり中野渡頭取の執務室にドカドカと足を踏み入れることはないだろう。何事においても、事前の挨拶や相手先へのお取次は非常に大切なのだ。
礼を欠けば、天照大御神様からの守護をいただけないばかりか、逆鱗に触れる恐れもある。

もちろん、参拝した当日も瀧祭神様にお参りしたのは言うまでもない。

 

 

いよいよ正宮へ

大鳥居を抜け宇治橋を渡り、五十鈴川で身を清め、瀧祭神でお取次ぎをいただいた。
いよいよ、天照大御神様が祀られている正宮正面に到着。

写真をご覧いただくとおわかりいただけるだろうが、正宮へのカメラの持ち込み、撮影などは一切禁止(当たり前)。TV番組などのカメラクルーも、ここに映っている写真の場所からは一歩たりとも先へは進むことができない。よって、本ブログでもここまでが画像としてお届けできる精一杯なのである。

階段を上がり鳥居をくぐると、目の前に白い大きな布が下がっている。
正宮中心にある正殿(しょうでん)は五重の垣根に囲まれており、そこに足を踏み入れることが許されているのは天皇・皇后両陛下のみである。
白い布の奥を伺い知ることはできないが、奥からは冷気を帯びた爽やかな風が時おり吹き込んでくる。フワリと布が風にあおられてめくれると、なにやら天照大御神様に迎え入れられているような錯覚を覚える。

ここが日本最高神の居るところ。最高で最強のパワースポットだ。

この正宮では個人的な願い事は許されていない。
「長生きできますように」とか、
「宝くじが当たりますように」とか、
「意中の相手と上手く結ばれますように」とか、
「とにかく何でもいいから、頭のテッペンの薄毛をなんとかしてください」など、
臆面もなく、堂々と超個人的な願いをして良い場所ではないのだ。
この正宮では、日々無事に生きていられることへの感謝や、世界平和を祈る場所であり、個人的な願い事はしないのである。

私が参拝している時、となりで手を合わせていたご婦人が、なにやら超個人的な願いをブツブツと口から発していたのを聞き漏らさなかったが、そういう個人的なお願い事は「荒祭宮(あらまつりのみや)」でやんなさいよ!と、思わずブツブツ言ってしまいそうになったが、我慢してスルーした。

 

これが正宮だ!(これ以降の撮影は禁止されている)

 

この「荒祭宮(あらやまつりのみや)」には、天照大御神様の荒御魂(あらみたま:天照大御神様の元気で積極的な状態の強い魂)が祀られており、人々の願いをその強い力で後押ししてくださるのだ。
個人的な願い事はここで行うのが良い。

この看板の奥にある荒祭宮(あらまつりのみや)で個人的なお願いをするのだ。

 

途中、神様が乗る真っ白い馬、神馬(しんめ)を見ることがでた。

真っ白い馬を見るのは初めて。優しそうで神々しい表情。

 

参拝の帰り道でも宇治橋を渡ることになるのだが、この宇治橋の北側二番目の擬宝珠(ぎぼし)の中には、川の氾濫などから橋の安全を守るため、饗土橋姫神社(あえどはしのひめじんじゃ)の万度幣(まんどぬさ)が収められている。
この擬宝珠に触れて帰ると、また再び参拝することができると言われていたり、金運アップのパワースポットとして紹介されていたりして、その色がテッカテカにすっかり変わってしまっている。色の違いがひときわ目立つので、通ればすぐに見つかると思う。

金運アップを普段から願って止まない私、もちろん撫でるようにして触って帰ったのは言うまでもない。

かなりの参拝者が撫でていくので色がテッカテカに変色している。

 

やはり内宮は別格

日本最高神、天照大御神様をお祀りしている内宮は別格だ。
お宮を渡る風、五十鈴川の水の清らかさ、その場の空気感。それらの全てが普段生活している場所のものとは明らかに違っているのがわかる。

去年の参拝で既に三回目を迎えているのだが、毎回、何か新しい発見があったり驚かされるエピソードを知ったりして、本当に楽しませていただいている。

コロナ禍の今年、未だ参拝することは叶わないが、どうしても年に一回は行きたいのである。
いただいた御札をお返しに上がりたいのである。
Go Toトラベルを利用して一刻も早く参拝したいのだが・・・・・。

まだまだ行く決心がつかない臆病者である。
伊勢神宮への思いは尽きない。

 


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