やりすぎへの道③ ~そして本番へ~


「五郎さん、完歩できる自信ありますか?」
「正直、弱気になってます・・・・・」

日付が日曜日に変わりしばらく経った午前1時30分、マリオからのつぶやきにも似た弱音がいきなり聞こえてきた。
この大会に誘ってきたのも唐突なら、本番でいきなり弱音を吐き始めるのも、これもまた唐突だった。

11月11日午前8時20分に小田原城の銅門を元気よくスタートし、平塚高浜台の第1チェックポイントから第2チェックポイントの江ノ島水族館までを問題なく通過。
そのままの勢いで藤沢から戸塚を過ぎ、みなとみらいの美しい夜景をスマホで撮影する余裕も見せながら、さらに第一京浜沿いを歩き品川を目指している最中だったのだ。

戸塚を過ぎるあたりまでは順調だった。
ワイワイと他愛もない無駄話を交え、太陽の傾きに合わせて表情を変える湘南の海や、水面に映る横浜の夜景を楽しみながらの道行きは、しんどいものであったが余力は十分にあり問題は全くなかった。
かなり露出度の高い目のやり場に困るウェアと、(ビキニの上にタンクトップ、11月だというのに真夏のバカンス状態のスタイル)膝丈までのレギンスを身に纏った「うる星やつらのラムちゃん」を彷彿とさせる日焼け女子。
ただひたすらに歩きにくそうな一本歯下駄で注目を集めていた謎の烏天狗おやじ。
ビーチで使うほうがよっぽどしっくり来るであろうスポーツサンダルを履き、ペタペタと河童が歩くような怪音を立て、近所をプラっと散歩しているような風情を漂わせるロン毛の若者。
この頃はまだ周囲の変わり種の参加者にも目を向け、クスっと笑える余裕まであったのだ。

F1の英雄アイルトン・セナの先行逃げ切りスタイルよろしく、歩けるうちはしっかりと歩き、出来るだけ事前に計画したペースを守ることで後半に余裕を持たせるという作戦は功を奏し、1キロを13分前後で歩くペースはしっかりキープし続けていた。
それぞれのチェックポイントでは水分の補給とトイレ休憩を取り、5分から10分でコースに復帰していたのも当初の作戦のとおりだった。

強奪されていく気力と体力

その兆候は、第3チェックポイントの横浜市児童遊園地あたりから徐々に始まっていた。

足指の付け根に発生した水ぶくれは不快感とともに大きくなり、親指の爪には疼痛、そして小指の外側には鋭い痛みが走り始めていた。
足との摩擦によりシューズ内の温度がかなり上がっているのがはっきりわかる。
浮腫んでいるのだ。
長時間同じ動作を続けていると、その部分は血流に影響が出て徐々に浮腫み、膨れてくる。
10時間を超えて繰り返された歩行と腕の振り子運動により、足と手の指先は通常より一回りほど大きく膨らんでいる。
伝わってくる違和感と痛みにより目視せずとも感覚でわかるのだ。
1時間半に1回は5分ほどの休憩を入れ、足との摩擦を減らすため少しずつシューズの紐を緩めたり、手のひらを握ったり開いたりする動作を繰り返して対策はしていたのだが、それでも浮腫みは徐々に大きくなっていく。

左足小指の痛みが尋常ではなくなり、たまらずコンビニの軒先で休憩を取りながら様子を確認すると、そこには血と汗に塗れヌラヌラと光る真っ赤な肉塊が現れた。
店内から漏れ出るLEDライトに照らされた、あり得ない色の小指を見て小さな悲鳴が出た。
肉塊の周りには指で剥いたブドウの皮のように、皺くちゃで血の気のない真っ白な皮膚がまとわりついていた。
水ぶくれも破裂してしまっており、組織液が抜けた部分の皮が申し訳程度に足裏にへばり付いているだけだった。
左足全体を蝕んでいた様々な痛みの原因はこれらであった。
また、親指と中指の爪は真っ白に変色し、通常歩行と違う方向から力が加われば、ミリミリと音を立てて剥がれてしまいそうになっている。
爪はほぼ死んでいた。かろうじて指にくっついているだけの状態だった。
履いていたグレーの靴下は鮮血でどす黒く染まり、爪先とそれ以外の部分でツートーンカラーになってしまっている。さらに傷口から溢れてくる組織液と血と汗が混ざり合い、それがシューズの中で保温・加湿されているおかげで、とてつもない悪臭を放っていた。
ボロ雑巾にような左足の状態と靴下から発せられる悪臭により、思わず顔をそむけてしまう。

余りにも無惨な左足を見つめていると、気力が音を立てて萎んでいく気がした。
まだ70kmそこそこしか歩けていない。この痛みと苦しみがまだ30kmも続くのだ。
真新しいシューズにも血の染みが大きく広がり、その面積が大きくなればなるほど、それとは逆に体力と気力は削がれていく。
傷口に絆創膏を貼りまくり、ワセリンを塗り、シューズの紐をほんの少し緩めに結んでも一向に痛みは減退してくれない。減退するどころか、血流が脈打つたび、時を刻むように正確な痛みが走り続ける。

やっぱり無謀な挑戦だったのだろうか・・・・・。
弱気と諦めが渾然一体となりかけたとき、先のマリオの弱音が聞こえてきたのだ。

ガチのマラソンランナーであるマリオにとって、24時間の長丁場とは言えウォーキングなど楽勝だと思っていた。
それは本人も認めていた。
だがマリオはこうも続けた。
「マラソンはどんなに走るのが遅くても3時間以上経過したら失格になってしまいます。そこでレースは終了です。でも、このイベントは24時間続きます。はっきり言ってナメてました。24時間こんなに苦しい状態が続くのと睡魔に襲われるのは想像を超えてました」。

マリオのこの言葉に呼応するように、さらに気力と体力が萎んでいく。
スタートから燃やし続けた闘志は、痛みという名の暴風雨に晒された蝋燭のように、今にも一筋の煙を立ち上げ保土ケ谷の夜の闇に溶けてしまいそうだった。

弱音は吐くが棄権はしない

スタート直後から「かったるい」、「もぅ電車に乗って帰りたい」、「飯食ってひとっ風呂浴びてからタクシー呼んで駅で電車に乗ろう」、「オフトゥンに帰りたい」などと、決して本気ではない冗談めいた弱音は何度も吐いていた。
そのたびにマリオは笑って、「ダメです。初志貫徹!最後まで歩き抜きましょう!」と、やる気の首根っこを掴んで強引に歩を前に進ませてくれていたのだ。
そのマリオかが初めて「泣き」を入れてきたのだ。
フルマラソンは無理と無茶を限界まで身体に要求する我慢のスポーツだ。
その責め苦に何度と無く耐え忍び、完走という栄誉を享受してきたマリオをもってしても、このエクストリームウォークというイベントは容易くゴールを許してくれないのだ。
ズダボロに傷ついた左足と悲鳴にも似た痛みを訴える腰を抱えた自分にとって、発せられたマリオの「泣き」は、棄権という名の恥辱を払拭するのに十分な言い訳を与えてくれるような気がしたのだ。

マラソンガチ勢のマリオでさえああなのだ。もう棄権しても仕方ない。
ウォーキングの素人に100kmなどという途方もない距離は最初から無理だったのだ。
事務局に連絡を入れ、「もぅ無理なので棄権します」。
たったこの一言だけで、これから先延々と続くであろう責め苦から開放されるのだ。
「止めよう、もう終わりにしよう。俺たちは精一杯頑張ったよ」
その台詞を出そうと口を開いたその瞬間。

「何を言う!弱音は吐くが棄権などせん!初志貫徹と言ったではないか!」

と、自分の思いとは全く逆の言葉がついて出てきたのだ。
半世紀以上の人生をサヴァイブし、今の今まで賞罰とは無縁の波風の立たない人生を送ってきた。
誇れるものも無ければ恥じるものも何一つ無い。逆を言えば、これほどつまらなく自分に納得の行く結果を残さない人生はボンクラだったとしか形容できない。
徒手空拳で挑んだ無謀ともいえるこのビックなチャレンジに、どうしても「棄権」の二文字の烙印を押して終わらせるということが出来なかったのだ。

そこから先、耐え難き痛みを緩和させるためにロキソニンの錠剤を胃の中に流し込んだ。
パッケージを見て後から気がついたのだが、一回一錠の服用だったらしいのだが、極限状態であったため勢い余って二錠をいっぺんに服用してしまっていた。
ヨーロッパなどのマラソンでは、各チェックポイントやエイドステーションにはロキソニンの錠剤が常備しているらしい。
日本では処方箋を扱う調剤薬局で、薬剤師の指導のもとでしか購入できない。
万が一の痛みに備えるべく、本番前日にわざわざ近所のドラッグストアで購入したロキソニン。
まさに効果はてきめんで(そりゃ二錠も飲んだのである)、服用後5分も経過すると嘘のように痛みが霧消した。
まるでドラゴンボールにおける仙豆のごとき効き目ではないか。
左足からの怪我による鋭い痛みはさすがに緩和できなかったが、それ以外の痛みは潮が引くように消えていった。
風前の灯と化していた気力は、痛みが消えるとともに力強くその炎の勢いを取り戻したのである。
俄然、やる気が湧水のごとく滾々と湧き出てくる。やはり、人間の身体と心は痛みというストレスには抗うすべがないのだと激しく納得した。

そしてゴールへ

品川駅を通過したのが翌12日の午前6時14分。
全身を貫く痛みもさることながら、ほぼほぼ体力も底をつきかけていた。
放射冷却により底冷えのする寒さも容赦なく体力を奪っていく。
この頃になると他の参加者も疲労と足腰の痛みが激しいらしく、自分同様に片足を引き摺りながら歩いている。
無言で朝焼けの街をズルズルと歩く隊列のさまは、まさにゾンビの葬列を見ているようだった。

品川から新橋を抜け築地と豊洲を抜けると、ようやくゴール地点である有明が見えてきた。
太陽もすっかり上り、右手から眺める東京湾から暖かい陽光が降り注いでくる。
この頃になるとマリオと二人全くしゃべることもなく、ただひたすらにゴールを目指し息も絶え絶えに両足を前に出すだけとなっていた。

左足が痛い。足が痛い。腰が痛い。腕が痛い。肩が痛い。目が痛い。全身が痛い。
もはや痛くない身体の部位などどこにもなかった。一歩前に身体を運ぶだけで全身が軋むように悲鳴を上げる。
まるで油の切れた工作機械がギチギシと崩壊の音を立てながら、それでも無理して操業を続けているようであった。
この大会に参加する目的、意義、意気込み、さまざまな思い、もうそんな些末なことはどうでも良くなっていた。ただただゴールにたどり着きたい。とにかく歩く行為を終了させ地面に腰を下ろしたい。休みたい。
それだけであった。

午前8時34分。
小田原城を出発してから24時間21分。
ようやくこの身体がゴールテープを切った。
この世に生を受けて半世紀弱。何も残せなかったボンクラ人生にたったひとつ誇れるものを残せた瞬間であった。
たかが100kmを踏破しただけだと人は言うかもしれないが、それでも最後まで諦めることなく「歩く」という原始的で単純な作業を気の遠くなる距離続けることができたのだ。
朝陽に照らされたゴール地点である有明ガーデンを見上げ、自分が成し遂げたちっぽけな誇れる経験に涙が出るかと思ったが、そんなことは全くなく、ひたすらに終わってくれた安堵感だけが全身を包んだ。

涙が出たのはその後、24時間の汗と埃を流すべく入浴した有明ガーデン内の温泉施設であった。

一歩湯船に足を入れた途端、熱めの湯が左足の傷に思い切り染み、余りの痛みに悶絶しながらうめき声を上げ涙を流してしまった。
痛みを堪えるために変な姿勢で力んだため、ほんの僅かだが放屁をしてしまった。

24時間にもおよぶ我がエクストリームウォークへの挑戦は、湯の中で涙を流し、勢い余って放屁で終わるという見事なオチであった。
ジャグジーから発せられる泡にまみれ、我が放屁が緩やかに鼻孔に立ち上がってくる。

エクストリームウォーク2022への挑戦は今ようやく終わったのだ。

 




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