8.6病バズーカー!
昨日(2021年2月7日)、コロナ禍により約二ヶ月の撮影中断という苦境に立たされながらも、壮大なスペクタクルを展開しつつ、堂々のクライマックスを迎えた大河ドラマ、「麒麟がくる」の最終回を視聴させていただいた。
(撮影再開後も、コロナ感染防止のために相当の苦労をされたとメディアが伝えていた)
戦国時代最大のクーデターといわれる「本能寺の変」を企て、天下統一を目前にした「織田信長」の野望を、その燃え盛る本能寺とともに歴史の表舞台から消失させた張本人。
歴史を教科書通りに学んでいたならば、三日天下で終わった悲しい人、主君に仇なした謀反人であり反逆者という、ダークでダーティーなイメージを強く刷り込まれてしまっている、「明智光秀」がこのドラマの主人公だ。
そんな彼の生涯を、天下の国営放送が大河ドラマとしてどのように描き、新たなる光秀像をどう解釈・提示してくるのか、ドラマ中のプロセスが非常に楽しみだったのだ。本放送直前にして薬物スキャンダルで降板を余儀なくされた某女優に代わり、重要な役どころである「帰蝶」を誰が演ずるのかも、不謹慎とは思いつつ、期待しながら発表を待ったくらいなのだ。
「べつにぃ・・・・・・」と、新しい配役に無関心なフリをすることはできなかったのである。
(いきなりの配役変更、コロナによる撮影中断など、ここまで波乱含みで撮影された作品も珍しい)
織田信長ならいざしらず、こともあろうに謀反人の明智光秀が主人公なのである。
決して主役たり得ない戦国武将にあえてスポットを当てる。それだけで俄然注目度が高まるではないか。
♪本能寺のへぇ~ん!と、サングラスをかけ真っ赤なTシャツ(そんな色のYシャツは持っていないので)を身にまといダンサブルに踊り狂うや、わずか8.6秒の早業で妻からのシンバル・キックをこめかみに喰らい床に崩れ落ちつつも、本放送が始まる前から、この作品の視聴を完走させる意気込みでマンマンだったのである。
ちなみに、大河ドラマを初回から最終回まで通しで視聴したのは、これまた実に「独眼竜正宗」以来、33年ぶりだったということも付け加えておく。
(世界のナベケン、若かったなぁ~・・・・・見ていた自分も子供だったけど)
光秀への新しい解釈
光秀が謀反を企てたのは、ひとえに信長からのいわれなきパワハラだったというのが通説とされている。それに異論は全くないし、程度のほどはわからないが、実際にそういう行為は数限りなくあったのだと容易に想像できる。
天下をほぼ手中に収めていた信長である。この世をば我が世の春と勘違いしてしまっても致し方ないし、確信に近いものもあったのだと思う。誰もが彼にかしづき、彼の命令を忠実に守るだけでなく、しっかりと成果を出してくるのである。誰だって天狗になって当然であろう。
誰も自分に対して異を唱えるものなど居ないと考えるのは、バレンタインデーの日に、確実に妻からのチョコレートだけは貰えると信じていることと同じである。(世は無常。例外は必ず存在する)
成果を出さないものは粛清されるか、さもなければ、僻地での閑職に追いやられる非情の人事評価を常としていた信長であるから、部下としてはこれほど厄介でやりにくく、ご機嫌伺いに神経を遣う上司はそう居なかったであろう。
令和現在の世であったとしても、その行為と人格とを公に糾弾するには相当の覚悟と勇気がいる。そんな中、今よりも理不尽極まりない世の中である戦国時代で、掟破りともいえる本当の意味での「下剋上」を光秀は行ったのである。彼の本能寺の変に至るまでの心情を推し量ったとしても、積年の恨み辛みを晴らさんがため、用意周到に準備されたクーデターであったのだと考えるのが普通である。
だが今回の大河は違っていた。
戦のない世を作るため共に闘い、互いを切磋琢磨していく親友に近い距離感で、二人の関係をドラマでは描いていた。
完全なる主従関係。ステレオタイプの歴史認識からはほど遠い関係性で二人を描くことにより、絶大なる権力を手中に収め、狂気にひた走っていく信長を、謀反という形で葬り止めることで、平和な世、麒麟がくる世を作ろうとした光秀像がそこに描かれていた。
これにはヤラれた。こういう解釈で持ってきたのかと感嘆した。このドラマにより、光秀の歴史認識を新たにした視聴者の方々も多かったと聞く。
信長という、戦国の世の狂人を作り出してしまったがゆえ、創造した本人がその幕引きを買って出る。
そこからの信長の最後のセリフ。
「光秀か。であれば、是非も無し」につながるのだと思う。
誰も止めることが出来ない狂気への道筋を断つのは他ならぬ光秀であり、秀吉でも家康でも勝家でもなかったのだ。
このドラマは、戦国の業火の中で、さらにそれよりも激しく燃えた信長と光秀の究極の愛憎劇だったのかもしれない。本能寺の灰を握りしめる光秀のアップを見たとき、そう感じてしまったのだ。
最後の最後。実は光秀は密かに生き延びているというオチにも驚かされた。
ナレーションであっさり死んだことを告げられたのにも驚いたが、こういうラストを用意していたのもニクい演出であった。
33年ぶりにフルマラソン視聴を完了した「麒麟がくる」。
本当に楽しませていただいた。
次回作は渋沢栄一の生涯を描く「蒼天を衝く」だ。
渋沢栄一のことを名前くらいしか知らない妻は、主演が吉沢亮だと知るやいなや、レコーダーの録画予約をしっかりセットしていた。
「渋沢栄一って中国の毛沢東みたいね。吉沢クンと全然似てないじゃない!」
妻よ、大河ドラマの主演は決まってイケメン俳優がやるものなのだよ。
それに、渋沢栄一と毛沢東が似てるのは、そりゃ髪型くらいのものだ。
来週からしっかりとドラマを視聴し、渋沢栄一の偉業の数々をしかりと知ってほしい。
週末の夫婦の楽しみがまた一つ増えたのである。