「じゃ出ますか」
「エクストリームウォーク」
マリオからの誘いは唐突で突然だった。
ラインでのやりとりの最中、いきなり東京エクストリームウォークへの参加を打診してきたのだ。
今の今まで、社内通信インフラの不具合で回線速度が著しく低下し、リモートワークの生産性も引きづられるように低下(エンターを叩いても5分以上ノー・レスポンス状態で全く使い物にならない)したことへの罵詈雑言で盛り上がっていたというのに・・・・・。
この会話の最中、一体どこからその単語が出てくるのか皆目検討がつかず、最初、頭の中は疑問符だらけだったのだが、マリオからのこのようなサプライズばりの誘いは一度や二度ではない。
慣れっこになっていたとはいえ、あまりの脈略のなさに思考を整理しながら、エクストリームウォークなるイベントがどのようなものかキーボードを叩き確認してみた。
「東京エクストリームウォーク」とは、自身の体力と気力の限界に挑み、100kmを歩ききるイベントです。小田原城址公園を出発し、東京都内のゴールを目指します。制限時間は26時間。多くの人が夜通し歩く「エクストリーム(過激)」なウォーキングです。一人で挑んでも、仲間とともに挑んでも、きっと、これまでにない気づきや絆が生まれるはずです。
TOKYO XTREME WALK 100 大会概要ページより
なんとも爽やかで勇ましく、完歩したあかつきには得体の知れない何かが去来するような謳い文句が記載されているではないか。
「挑戦」、「チャレンジ」、「限界に挑む」。
意識高い系や体育会系、さらにはブラック企業の幹部社員が若者を鼓舞するために使うこの言葉に、いかに関わらないようにするかだけを念頭に置き、半世紀以上をサヴァイブして生きてきたのだ。
四捨五入したらそろそろアラ還に手が届きそうなオヤジに、いまさら何に挑めというのか。
脳を含めた肉体のピークなどとっくに過ぎ、あとは老いさらばえる人生の黄昏ロードをひた走る運命にある人間に、挑戦するべき意義のあるものなど残っているのだろうか。
そもそも100kmってなんなのだ。車で移動するにしても相当な距離を身体ひとつで歩かせるというのは、これはもはや「挑戦」の域を超えた単なる「拷問」ではないのか。
そもそもこのイベントに、決して少額とはいえないエントリー・フィー(6,000円~16,000円)を払ってまで参加する酔狂な人間など、果たして何人存在するのだろうか。
色々とネットで情報を検索してみると、このデス・レースのようなイベントは、2019年6月1日~2日に第1回目が開催されてから、年に2回(春と秋)に開催されており、今回で通算5回目。(2020年はコロナの影響で開催中止)
前回大会のリザルト情報によると、
完歩率は約76%。(参加者の年齢層の分布はわからないが、この数字は驚愕の一言)
参加者は2,500名ほど。
参加者の多くがSNSで大会の様子を写真つきでアップしていたが、どれを見ても楽しそうで爽やか。
小田原城や湘南の海、横浜の夜景、有明からの朝陽などをバックに、とびきりの笑顔を見せた映え要素満点のものばかりだった。
(若い女性の投稿ばかりを見ていたので、ソレっぽいものしか見ていなかったのかもしれない)
「ほほぉ・・・・・・なるほど」
SNSにアップされている記事をみると、ご年配の方や夫婦揃っての参加者も多いことに気づき、これなら、このくたびれ果てたオッサンにも完歩するチャンスが結構あんじゃないのかと、妄想にも似た良からぬ期待が心の中にフツフツと湧いてきた。
「挑戦」なる言葉を連想させる行動を忌避してきた自分にとって、これが肉体系イベント参加への最後のチャンスになるかもしれないと思い始めたのだ。
「しょうがねぇなぁ・・・・・いっちょ参加してみる?」
マリオからの何気ない誘いに、大した疑問も抱くことなく、キラッキラの映え要素満点の画像情報のみを心の拠り所にしてポロっと返事をしてしまった。
ここから先の地獄を全く予想することもなく、自分もキラッキラのウォークオヤジに変身する愚かな妄想を抱き、やりきったドヤ顔でゴールテープを切る姿だけ、ただそれだけを想像して返事をしてしまった。
それが今から約半年前、5月26日(木)の19時44分のことだった。
ここからが地獄の幕開け、終わりの始まりであることなど、この時は知るよしもなかったのである。