相対評価という名の絶対評価

とりあえず賞与をいただきました

冬期賞与が支給された。
今期は業績面でかなりの苦戦を強いられた我が事業部において、中間管理職の私にも賞与が支給されたことは本当に喜ばしく、妻にもなんとか面目を保つことができた。

最近はネットバンキングを利用しており、さまざまな取引の確認はスマホで行っているが、やはり、預金通帳残高の数字が増えているのを見るのは快感の一言に尽きる。
(快感を感じられるプレイができるほどの支給額では全くないのだが、それでも嬉しいのだ)
入金される前から既にその使い道などとっくに決まっており、今さら自分の自由になる小遣いは1円たりとてないと分かってはいても、入金額の行が追加されているのを見ると、やりきった感と共に幸せな気分に浸れる。
あぁ、おぞましき拝金人生。

半年もの長き間、耐え難きを耐え、忍び難しを忍んだのだ。
少しくらいは好きなものを好きなだけ食べ、買いたいものを片っ端から大人買いする夢想に浸ってもよいではないか。
そのくらいの細やかな喜びでもなければ、翌月には「住宅ローン」というベルトコンベアに乗せられ、マッハのスピードで半年分の労働対価が右から左へと流れていく現実から逃避できない。

なんと住宅ローンが重い十字架なのか・・・・・。
ゴルゴダの丘で磔刑に処されるジーザスの心境とはこれいかに。
今回のボーナスでノートPCを新調する企みは、大幅な減額という現実の前に脆くも崩れたのである。
アーメン・・・・・。

賞与の査定って

我が事業部では、下期がスタートしてすぐの11月に突入すると、一般職の賞与査定会議が始まる。
現在私は様々な理由があり、部下を持つライン課長としての管理作業から外れており、同会議にも出席していない。
ただ、やり方は私が参加していた頃と全く変わっていない。
なぜなら、査定で使用する資料のフォーマットがそのころと同じだからだ。

何年も使い回しているExcelファイル。
組織的に付与される評価点やら指標を決まったセルに入力すると、査定額が個人別に自動計算され表示されるのだ。
セルの中身を見ると、奇々怪々な計算式がビッシリと書き込まれており、下手にセルをイジろうものなら、「#VALUE」の文字が表を埋め尽くすことになってしまう。

だったらマクロ書きゃいいじゃん?セルなんてうっかり上書きしちゃうこともあるじゃんよ!
と思っても、このExcelファイルが老舗料亭の味のごとく子々孫々と受け継がれており、度々バージョンアップを繰り返されていることから、中身の仕様を完全に理解している人間がいない。
こうなるともうダメである。
下手に触ってブチ壊すより、とにかく今のものを使い続けるしかなくなるのである。

ウチの会社って本当にIT屋さんなの?

相対評価という名の絶対評価

Excelによる個人別評価金額が計算されれば会議は終わり!、と思ったら大間違い。
その数字をそのまま提出したら、あっという間に人件費の予算オーバー。
上層部からは、「一体どんな査定してんだよ!おめぇらの組織はこれだけしか賞与額は出せないって通達出てるだろ!ゴルァ」と非難轟々、雨アラレである。

そこで登場するのは、相対評価という名の絶対評価だ。

本来なら、各人各様の業績内容が指標化され、それぞれの評価項目にプロットした計算結果の値を採択するべきなのだが、それでは絶対評価となってしまい、予算がオーバーしてしまうのは上述の通り。
予算という足かせの中で、いかに体裁よくソフトランディングするような、数字の「ナラシ」をするのが大変な作業なのである。

目立った業績を残したメンバーや、高い評価点を与えたいメンバーがいるのだが、上記の通り足かせがあるので全部が全部優良な評価は与えられない。
じゃあどうするかというと、他のメンバーの評価を下げてナラすしかないのだ。

私がいいたいのは、そこで評価を下げざるを得ないメンバーの選定方法だ。
高評価を与えるのは比較的簡単だが、下げるとなるとどの管理職も躊躇する。
後の賞与査定面談時にモメるのがイヤなのだ。
低評価となったメンバーにいちいち理由を説明し、納得させるのが面倒なのだ。素直に了承してくれないメンバーも相当数いる。

予算を守るために相対評価としなければならないのは理解できる。
だがその影で、低評価としなければならないメンバーをしっかり定量的に判断しているか?というと、それには甚だ疑問が残る。
低評価をされるメンバーはかなり固定的で、管理職から「こいつは仕事ができない」というレッテルを貼られているものが多い。
組織が固定化され、メンバーの異動がなかったりすると更にこれが硬直化しているような気がする。
要は、低評価をされるメンバーは、組織全体の相対評価を成立させるための絶対評価となっているのではないか?ということだ。

賞与査定などはドライにシステマチックに行わなければならないと思う。
これこそがAIなどを一番活用できる場面なのではないだろうか?
与えられたデータのみで定量的に判断する。そこには一切の人間的私情は挟まない、挟む余地もない。

旧態依然の「エンピツ舐め舐め」では、この先の時流には乗りそこねるのではないか?と、常々思ってしまう。
これだけ声高に訴えるのも、当の本人の私が絶対評価の対象になっていると信じて疑わないからだ。

泣ける・・・・・。







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