際限のない堂々巡り
日々の仕事をこなしているうち、どうしても陥ってしまう心のエア・ポケットがある。
「自己嫌悪」と呼ばれるヤツである。
これがまた中々に厄介な代物で、一度陥ってしまうと抜け出すのにやたらと時間がかかる。
ネガティブな想いが堂々巡りを始め、しばらく員隠滅滅とした気分の日々が続くのである。
朝は起きるのがおっくうになり、昼間は仕事のパフォーマンスが下がる。
それが原因でアウトプットの品質が低下したり、提出期日が守れなくなったりする。
そうなるともう悲惨の一言である。
更に自己嫌悪が深くなり、出口が見つけられなくなる。
モチベーションを上げるどころの騒ぎではなくなるのだ。
まさに負の連鎖、自己嫌悪の堂々巡りが始まるのである。
自己嫌悪に陥った時におこる心理的影響
私は優秀なIT技術者ではない。
バブル時代の超売り手市場において、絶対的な技術者不足が予想された今の業界に、偶然もぐり込んだだけだ。
何か特別な思いや、プログラミングやシステム開発に大きな野望を持って入ったわけではない。
ぶっちゃけてしまうと、何の苦労もなく入れたから続けてきただけなのである。
(入ってからが地獄だった・・・・・)
そこから30有余年、在籍年数と役に立ちそうもない経験だけが増えて行っただけだ。
加齢に伴い仕事のパフォーマンスが出せなくなると、とたんに自己嫌悪が始まる。
始まったら最後、以下のよう心理的理的影響に悩まされ始める。
・劣等感が強くなる
・ネガティブ思考に陥る
・コンプレックスが多くなる
・常に人と自分を比較するようになる
・何に対しても完ぺき主義になり妥協が許せなくなる
・他人の言葉や視線が気になる
・過去の失敗をいつまでも後悔する
・心が満たされない(承認欲求が満たされない)
上記のような影響が出始めたとき、以下のような対処法を勧めるブログがあるが・・・・・。
・短所を長所に変換する
⇛ そもそも自分の長所が何なのか良く分かっていない。
・自己肯定する
⇛ 自己肯定ができないから苦しんでいる。
・失敗を肯定し忘れる
⇛ 堂々巡りに入ると、どうしても失敗したことを思い出し考えてしまう、忘れようとすると余計だ。
・後悔を反芻しない
⇛ これも堂々巡りに入るとどうしても考えてしまう。後から悔やむから「後悔」なのだ。
・他人との適度な距離感を保つ
⇛ これが一番有効で手っ取り早い手段かもしれない。
・目標を低く設定する(ハードルを上げ過ぎない)
⇛ 最初から低く設定した目標がクリアできないのだ、どうしたらいい?
結局は他人に依存している?
自己嫌悪の原因と対処法を考えているうち、自己嫌悪とは、「自分自身の価値基準を他人に委ねている」から起こる心理的葛藤だと気付かされた。
自分自身の価値・判断基準をしっかり持っていれば、最終的な評価は迷うことなく自分で下すことができる。
その大切な基準を他人に依存してしまっているからこそ、他人と比べたり、他人からの目線や評価を気にすることになるのだろう。
TVドラマにもなった大ベストセラー、「嫌われる勇気」が言っていたことは本当なのである。
自分の中にしっかりとした芯を持つことにより、他人からの評価は関係ないものになる。
嫌われてナンボの精神が大切なのだ。
考えられなくなるまで悩むこと
そうは言ってもやっぱり他人の目線や評価は気になるものである。
これはどうしようもない。
一番効果的と思われる、「嫌われる勇気」もなかなか持てそうにない・・・・・。
これを払拭するには、「疲れて何も考えられなくなるまで悩むこと!」に尽きると思う。
実際私がそうなのだ。
どうしようもないことをアレコレ悩み、元気になったりふさぎ込んだり。
考えうる様々なことを試してみたのだが、最終的には疲弊するまで考え抜いて、何も考えられなくなる状態を待つということだった。
もうどうにでもしてくれ!状態である。
人それぞれ色々悩み、対処法をお試しだと思う。
私の対処法はかなりヤサぐれていると言うか、もう半ばヤケクソになってたどり着いた境地のようなものである。
お勧めはできない。
他人との適度で良好な距離感を保ちつつ、「自分は自分!」というスタンスで生活するのが一番なのだろう。
とかく人の世は世知辛い。
もっと心静かに暮らしたいと、切に願う毎日なのである。