ウィルキンソン・ドライジンジャーエールは日曜午後の味

毎週日曜日の午後、必ず近所の「西武」に行く。
自発的に行くのではない。
次の一週間分の食料や日用品などの買い出しに、妻と母親に付いて行かなくてはならない。
いわゆる「運転手」というやつだ。

夕方になってしまうと周辺道路が混んでしまうので、午後2時くらいに出かけるようにしている。
昼食時も過ぎ、腹ごなしのためにゆっくり昼寝でもするかのように、この時間帯の周辺道路は穏やかだ。
グズグズして3時半を過ぎてしまうと、途端に昼寝から目覚めたかのごとく人も道路も慌ただしく動き始める。
何より渋滞している道路が大嫌いな私は、買い物に行くならこの時間帯と決めている。

「西武」の立体駐車場に車を停め、エレベータホール手前で妻と母親と別れる。
2人は1階にある大型スーパーマーケットへ降りていく。
私は館内に入り、エスカレータに乗り、そのまま上の階を目指す。

上の階には書店と、それに並んでカフェが併設されている。

女性の買い物に付き合うのが渋滞と同じくらいキライな私は、本屋に立ち寄り、雑誌や小説、その他面白そうな本を物色してから、買い物が終わるまでの結構な時間をそのカフェで過ごすようにしている。

書店でお目当ての本を購入して、人工皮革の少し硬いソファに腰を下ろしまずは席を確保する。
空いている時間帯とはいえ、まず先に席を確保していないと注文している最中に席を取られてしまい、飲み物が乗ったトレイを持ちながら店内を右往左往するハメになる。

まずは席の確保が先決だ。

席を確保した後レジ・カウンターで注文をするのだが、私は決まって「ウィルキンソン・ドライジンジャーエール」を注文する。

この「ウィルキンソン・ドライジンジャーエール」。
辛口と甘口があるのだが、私は断然、辛口派だ。

グリーンが鮮やかな瓶に入ったジンジャーエールを、小さくクラッシュされた氷が入った広口のグラスに注ぎ入れる。
琥珀色の液体が透明なグラスの色を変えていく。
ピッタリ入るようなグラスを選んでいるのか、注ぎきってもこぼれることはない。

一口飲もうと鼻先までグラスを近づけると、ツンとした、ちょっと強めのジンジャーの香りが鼻をつく。

たまらず一口含むと、口の中に一気にジンジャーの香りが強い刺激とともに広がる。
ピリピリと弾ける、少し痛みを感じるくらいの刺激だ。
これは子供には強すぎる。例え飲んだとしても「美味しい」とは言わないだろう。

口の中でひとしりきり香りと刺激を楽しんだ後、ゴクリと飲み込む。
喉から胃の中に落ちていく感覚が、ハッキリと意識を持っているかのように伝わってくる。
ガツンとした刺激が喉を通り過ぎ、胃の中に入っていくのだ。

昼下がりのカフェ、のんびり落ち着いた雰囲気の中、本を読みながらドライジンジャーエールを飲む。
この一時がたまらない。
ページを捲りながら強い刺激の余韻を喉の奥で楽しむ。

何度かこの感覚を楽しみながら、数十ページを読み終えた辺りで、妻と母親がショッピング・カートに荷物を満載してやってくる。
いつもの光景だ。

このドライジンジャーエールを自宅でも楽しみたいと思い、近所のコンビニに買いに出かけるも、置いてあるのはペットボトルのみだ。

これではダメだ、瓶なのだ。
どうしても瓶入りのジンジャーエールを飲みたいと思ってしまう。
中身は全く変わらないだろう。ただ入れ物が違うだけなのだが、少年時代を昭和で過ごした世代ゆえ、どうしてもペットボトルの炭酸飲料に味気なさを感じてしまう。
いや、確実に瓶入りの炭酸飲料の方が美味しいのだ。(と感じる)

逆に、平成キッズたちは瓶入りの炭酸飲料など受け付けないだろう。
瓶は重いし、第一、栓抜きがなければ飲むこともできない。
利便性と効率を求める現代においては、もはや瓶入りの飲料はマイノリティと化している。
(でも瓶ビールが無くならないのはなぜだ?)

日曜日の午後、カフェで飲むジンジャーエールだからこそ美味しいのだろうか?
いつでもどこでも、手軽に、気軽に飲めてしまっては、逆にありがたみを感じることも少ないのかもしれない。
(いや、そんなに大げさなモンじゃないだろうが)

ウィルキンソンのドライジンジャーエール。
私にとっては日曜日の午後、贅沢な時間を過ごすための必須アイテムとなっている。

この立ち位置は、しばらく変わることはないだろう。


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