オンラインではない。実際に顔を合わせて会話をすることが、精神的デドックスをもたらすのだ。

集合は18時15分。コンビニの駐車場で

今にも泣き出しそうな曇天模様の空。

厚く覆われた雲の切れ間から顔を出した太陽が、ほんの少しだけ、鉛色の空を赤く染め上げている。
18時15分。馴染みの中学時代の友人二人が、我が家の裏にあるコンビニエンス・ストアの駐車場に車を滑り込ませてきた。グループLineで他愛のない会話をするうち、仕事帰りにちょっと会って立ち話でもしよう!ということになり、たっぷりと湿り気を含んだ空気と、一日分の仕事の疲れを背負いながら、こうして、暮れなずむコンビニに集まったのだ。

集まった友人は二人。ダッちゃん(男)とタジ(女)。
中学時代、お互いの家を行き来するほど仲が良かったわけではなかった。ごくごく普通のクラスメイトで、授業の合間の休み時間、ワイワイと談笑する輪の中には必ず入っているメンバー。そんなありふれた間柄。そして、15歳の少年少女の誰もが経験する、一般的で平均的な思い出を心の中にしまい、桜舞い散る中で卒業式を迎えたのだ。

それから数十年が経過し、お互いの顔などすっかり忘れきった頃、中学時代の恩師の定年を祝う同窓会が企画された。この同窓会の幹事に我々三人が任命されたことから、連絡用にグループLineを作って連絡を取り合うようになったのである。同窓会が終わった後も近況報告をし合ったり、時間が合えば飲みに行ったりする、ユル~い関係が続いているのだ。

「やぁ!久しぶり!」。
この決まった台詞で挨拶が終わると、そこから先は堰を切ったように会話が始まった。仕事は順調なのかどうか、会社はリモートワークに対応しているのかどうか、コロナウィルスに家族や知人が感染していないかどうか、給付金はもらえたのかどううか、もらった給付金はどう使うつもりなのか、いつになったら梅雨が明けるのか、これから先の日本はどうなるのか・・・・・。
コロナ禍により、外出自粛をお互いが自らに課していたのだから、こうして面と向かって話すのは半年以上の期間を置いている。その間、Lineでのやり取りも少なくなっていたのだ。どうしてもコロナに関する話題が最初にくる。

それにしてもまぁ、本当にとりとめがない。三者三様に言いたいことをいい、話したいことを話す。買い物客でそこそこ賑わっているコンビニの駐車場を尻目に、三人の会話は止まる気配を全く見せなかった。

TV会議とはやっぱり違う

これだけ会話が止まらなかったのは、ひとえに、人間の発する生の声、表情、身振り手振りによるライブ感に飢えていたからだと思う。

二人はどうか知らないが、私は仕事で毎日のようにTV会議システムを利用している。スピーカー越しではあるが、会議をし、その中で会話や雑談をしたり、時には冗談も言い合ったりしているのだ。普通に考えたら会話を欲するという感覚にはならないと思う。いや、むしろ、長丁場の会議で延々と説明や質疑応答をしているのだから、口もききたくないと言うのが本当のところだ。

この日も二時間ほどTV会議をこなし、議事進行をしていたことも手伝ってか、終わった頃は喉がガラガラ。途中、何度も水分補給はしていたのだが、それでも喉へのダメージは結構なものだった。そんな最悪な喉のコンディションでも、友人との会話は途切れることがなかった。
滾々と湧き出る湧水のように、次から次へ、いくらでも話題が出ては変わる。

楽しい。本当に楽しいのだ。仕事から離れ、気のおけない友人と話しているからだけではない。無機質なスピーカーから流れる、いかにもとって付けたような、ビジネスライクな会議の中で交わされるソレでは決して感じられない、血が通ったような温かさを、このとりとめのない会話の中で感じていたのだ。慌ただしく行き交う車のエンジン音や、コンビニから流れ出る雑音さえ、心地よいBGMのように感じられた。

立ち話を始めてから二時間。辺りはすっかり真っ暗になり、腹具合もそこそこに空いてきていたこともあり、ようやく解散となった。時刻は20時30分。
考えてみれば、昼間のTV会議とほぼ同じか、それ以上の時間をしゃべり倒していたのだ。

喉は痛かった。二時間以上も立ちっぱなしだったため、腰もそこそこ痛かった。
でも、真っ黒になった梅雨の曇天模様を吹き飛ばすかのように、心はすっきりと澄み渡っていた。心の中に澱のように溜まっていた毒素が、すっかり体外に抜け落ちたような気分になっていたのだ。

リモートワークは素晴らしい。新しい働き方の形として、少しずつではあるが社会に浸透してきている。
大いに賛成だ。
だが、家にずっと閉じこもり、機械を介在することによる、バーチャルオンリーな人間関係を継続していくのには限界があるのだろう。会話の途中、通信機器のタイムラグにより、相手のリアクションが遅れてしまうことも、興醒めでテンションを下げる一要因なのだと思う。

人と交わることで、人は、承認欲求や社会欲を満足させる生き物なのである。

機械やネットワークを通じてのコミュニケーションでは、到底それを満足させることはできないであろう。
Face To Faceによる血の通った会話こそが、ステイホームで蓄積された孤独を癒やしてくれるのである。
時を忘れ笑顔で話をする。ただこれだけのことが、コロナ禍でささくれだった心を浄化する、最も効果的な方法なのであると気がついた。

まさに、精神的なデトックスなのである。

TV会議で疲れ切った身体と心に染みた、蒸し暑い梅雨の夜の出来事であった。


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