どこまで続くリモートワーク生活
気がつけば、いや、気が付かなくとも今日は6月31日。
令和2年も、既に半分を消化してしまったのである。
コロナウィルス感染防止対策として、非常事態宣言発令(4月16日)を待たずしてスタートしたリモートワーク生活は、現在でも依然、継続中である。
支給された通勤定期代金の返還(在宅勤務開始以降の全支給金額を、翌月の給与から問答無用で天引き)を求められたことからして、リモートワーク完全対応へ舵を切った本気度の高さが伺える。だが、本社サイドの方針が変われば、それに呼応するかのように、我社の対応も風見鶏のように変わってしまうことから、諸手を挙げて信用などできない。
シレっと、「来月から通常出勤に業務形態を移行します」と記載されたメールが送信されるだけで、あの忌まわしい通勤地獄生活へゴーバックする可能性は充分にあるからだ。
リモートワークに対応できない業種・業態に従事されている方々には本当に申し訳なく思っているが、もう3ヶ月近く、バスや電車などの公共交通金を全く利用していないのだ。サラリーマン人生において、大病を患い入院をした時以来の出来事である。
都内へ通勤するため、毎朝2時間近くをかけてバスや電車に揺られていたのである。途中、腹具合が急降下し、何度メルトダウンを起こしかけ、苦悶の表情を浮かべながらトイレに駆け込んだことか・・・・・。
私はお腹が弱いのである。通勤途中の要所要所、メルトダウン・エマージェンシーに対応できるよう、比較的空いているトイレを、常時5箇所以上は把握・記憶している。
ゆえに、参画しているプロジェクトの作業場所が変わったり、急な客先訪問などの予定が入ると狼狽してしまう。もし万が一、通勤や移動の途中でメルトダウンの危機に見舞われたらどうすればいいのか、と。
通勤時間帯はいわずもがな、都内のトイレ事情は、常にイス取りゲーム状態なのである。個室が空いている可能性など皆無に等しい。
腹痛が始まると同時に個室に滑り込めたときなど、「はて、今日のめざまし占いは何位だっけ?きっと1位に違いない」と、天を仰ぎ、偉大なる神や天の星々に感謝の祈りを捧げる他はない。
突然襲いかかる腹痛の恐怖から逃れることができ、自分の腹具合の調子に合わせ、気軽にトイレに行って用を足せる自由。この与えられし楽園を、できれば定年まで手放したくないと思うのは我がままだろうか?もう通勤地獄に再び戻る自分の姿を想像できない。
それだけ通勤という行為自体が、心身ともに過剰なストレスを与えているのである。
TV会議にカメラって必要?
毎朝9時になる少し前、会社支給のパソコンを起動する。
社内システムにログインすると同時に、チャットソフトも自動起動する。ログイン時間は自動的にサーバーに転送・記録され業務開始となり、チャットソフトの状態表示により、社員がパソコンの前にいるのかどうかが分かるのだ。
チャットソフトの状態表示は、「連絡可能」、「応答不可」、「非表示」のうちのいづれかであり、長時間トイレにでも行かない限り(マウスやキーボードの操作をしていないとアイドル時間となる)「通話可能」を表示する。
基本、IT系の仕事をしている人間は、個人で作業をする場合がほとんどだ。多人数で何かをする場合、それは会議となる。資料を作成する者もあれば、プログラミングや業務ソフトのパラメタ設定と格闘する者もいる。面倒この上ない事務作業を、眉間にシワを寄せてひたすら処理する者もいる。
各人各様、職位や立ち位置の違いにより作業は異なるのだが、会議を除いては、おおよその作業は個人で行うものがほとんどなのだ、ほぼ全てと言っても差し障りはあるまい。
また、TV会議に招集された場合でも、よほどのことが無い限り、パソコンに装備されているカメラを使用することはない。議題のほどんどはプロジェクトの進行や課題、問題点についての議論であり、資料は必見の要素ではあるが、メンバーの顔を見ながらの会議進行は不要である。
どの企業のTV会議もそうではないか?と思うのだが、どうしてそれにカメラが必要なのか理解に苦しむ。
疲れ果て、くたびれ果てたオッさんのテカった顔面など、パソコンの画面に大映しで見たいと思う変態は誰もいないであろう。Zoomなるものをオンライ飲み会で使ったことがあるが、やはり、パソコンの画面越しでのFace to Faceは照れくさいものがある。まだリアルに面と向かっていた方がマシだ。
はっきり言って手持ち無沙汰なのだ。
実際の会議において、自分には関係のない議題に移った場合など、手持ちの資料に目を落としたり、話を聞いているフリをしてせっせとパソコンに向かい、違う作業をする者もいる。いや、会議に出席している人間のほどんどが、自分の担当議題が終わると、他に処理しなければならない作業に没頭してしまうのだ。
これが、日本企業における、会議の偽らざる真の姿なのではないだろうか?
「自分の担当が終わったら、後は会議終了まで関係ねぇ・・・・・」と、まるで小島よしおの忘れ去られつつあるギャグのようである。
私が上はYシャツ、下はブリーフという変態コーデで業務を続けられるのも、ひとえにTV会議で、カメラ越しに顔を映す機会がほとんど無いからである。
申し訳程度にYシャツは着ているが、それは最低限の保険である。
初めて会議に参加された顧客側の人間に対し、バーチャルで顔見せをせねばならなくなった場合にのみ、TV会議システムでカメラをオンにするのだ。
寝癖でボッサボサに乱れきっている頭髪をフレームアウトさせるのはお約束だ。
スーパーサイヤ人然とした頭髪とYシャツ(おまけに下はブリーフ)。これ以上に顧客からの信用を失墜する絵面は他に無いと信じている。
セキュリティの面からも、カメラのレンズにはテープを貼って、その機能を殺してしまっている。いつなんどき、腹具合が悪くなってTV会議中にトイレに駆け込むやもしれないからだ。
昼ローの誘惑
現在は全く畑の違う事業部に異動させられ、新卒入社以来、培った経験や技術を全て無かったことにされた悲しい部下がいる。共に京都の安井金比羅宮様まで参拝しに行ったり、アウトバックステーキで肉の狂宴を心ゆくまで楽しんだ男、そう、マリオである。
そのマリオから、超久々にラインが飛んできた。しかも、やる気とモチベーションが地底深くまで落ちていってしまう、満腹による睡魔が襲いかかる13時にである。
「あ、五郎さん、お疲れっす!今何してます?俺、仕事しながら、自分のパソコンでTV見てるんっすよ。昼ローっす、昼ロー。ランボーやってます、面白いっす、ヤバイっす」。
とのことだった。
何のことやら最初は見当がつかなかったが、要は、会社の仕事をやりながら、自宅にある個人所有のパソコン(TVチューナー付)で、TV東京の「午後のロードショー」を視聴しているらしいのだ。今日放送しているのは「ランボー」らしい。
うむむ・・・・・ランボーと言えばスタローンだ。
今は遠き1980年代。ベトナム帰還兵の戦士であるランボーが、鍛え上げられた肉体を武器に、州警察と闘ったり、ベトナムで捕虜となったアメリカ兵を救出したり、アフガンでソ連軍の要塞に潜入したりと、どんな攻撃を喰らおうが、どれだけ大量の銃弾を浴びせかけられようが、戦車で轢き殺されそうになろうが、何をしても決して死ぬことはなく、武器と火薬による爆発シーンがやたらと多い、男臭さで窒息しそうなアクション超大作映画なのである。現在も新作が上映されているというから驚きだ。
見たかった。実はアクション映画をこよなく愛している身の上なので、この、マリオからのラインの一文は、眠気に支配された頭を一気にリフレッシュさせてくたのだ。
見たい、だが、私の個人所有のパソコンにはTVチューナーなんぞ付いていない。
視聴するとなったら離席をし、TVがあるリビングまで移動しなければならない。しかし、今は就業中であるし、作成せねばならない資料もそれなりにある。
いかん、行ってはいかん。見てはならぬ。己の欲望に打ち勝たねばならぬ。
どうしてもと言うなら、アマプラで時間のある時に視聴したらいいだけなのである。
・・・・・。
15時40分。結局、最後までランボーを視聴してしまった。己の自制心は、欲求という名のランボー者にはとうてい敵わなかったのである。
あぁ、これだからアラフィフおやじは会社のお荷物だ!とか、給料分の仕事なんてしてねぇじゃねぇか!この給料泥棒!!とか揶揄されるのだ。
やるべきことをやらず、在宅勤務となったら好き勝手に適当なことをやっている。こんなクレームを上司からもらおうと、一切何の言い訳もできないのである。
そこから定時である17時30分まで、しゃにむに資料作成に没頭した。
集中したのである、オヤツの時間を取ることも忘れ、トイレに行く暇も惜しんで資料作成に全精力を傾けたのである。
結果、15時40分からスタートした資料作成は、ものの見事に17時30分で終了したのである。
欧米諸国に比べ、日本は生産性が低い国だと揶揄されている。
これは、生産性の高低ではなくて、単に集中力の問題なのではないだろうか?
午後一杯かかるであろうと思われた作業が、2時間弱で完成させることができたのである。これが集中力に起因するものでなければ何だというのか?
「ただ単に、振られた仕事が大したこと無かったんじゃないっすか?」
マリオからの返信に多少なりともムッとしたのだが、今日のマリオはランボーを視聴しながら、通常よりも多くの作業ノルマを達成したという。
集中力でもなんでもなく、私に振られた資料作成の仕事が簡単だったと認識したのは、晩酌で飲んだレモンサワーの酔いが全身に回る21時過ぎだった。
やっぱりアラフィフおやじは会社のお荷物なのかしらん?
ほろ酔い気分で硬い床に寝そべり、ポロっと呟いた。
「そんなの関係ねぇ~・・・・・オッパッピ」。
私も小島よしおのギャグのように、忘れ去られるのだろうか。
ランボーのように強く生きるにはどうしたら良いものか?
アラフィフおやじの悩みは尽きない。